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2007年05月09日

うどんとそば

 東京人というものは蕎麦を喰うのだよ。饂飩なんてのは、関西だとか四国だとか、とにもかくにも、何となく"以西"な気配のある食べ物ではござんせんか、などと狭い心で思っている私である。
 だって、ほら、出前を取る時でも、ちょっとそこらで飯でも喰うかってな時でも、小さい頃から「おそば屋さん」「蕎麦屋さん」という呼び名で慣れ親しんでいる店はたくさんあるけれど、「うどん屋さん」というのはなかなかみかけないでしょ。今でこそ、たまにそんな店に出会すこともあるけれど、ほとんど間違いなく「本格関西風」だとか「讃岐」だとか銘打たれているのであり、単なる町のうどん屋さんというものは少なくともうちの近所には存在しないと思われる。あったら御免。ま、謝るほどのことではないような気もするが。
 そうですか、それじゃあ、東京の人、少なくとも、杉並界隈の人々てえのは、うどんが喰えなくて可哀想ですなあ、と心配頂く向きもあるかもしれんけれど、御無用で御座る。町の蕎麦屋さんというところの大半ではうどんも供してくれるのですよ。うどんが喰いたい人も蕎麦が喰いたい人も蕎麦屋に入れば宜しい。で、まあ、席について、品書きを眺めて、さて、何にしようかな、と悩んで、結局、板わさとお酒を注文してしまったりするわけだ。
 いやいや、そういう話ではなかった。蕎麦屋でうどんもオーダーできますよ、という話。けれども、そもそも私は圧倒的に蕎麦が好きなので、冷たいのもあったかいのも蕎麦。百パーセントに近く蕎麦を誂えるのであります。
 ここで細かいことを気にする読者は「百パーセントに近い」ということは「百パーセントではない」という意味だな。この野郎、蕎麦蕎麦蕎麦蕎麦言ってるくせに、こっそりうどんを喰う時もあるに違いねぇ、なんて。いやいや、御明察。そんなあなたの推測は全く以て正しい。蕎麦っ喰いの私だとて蕎麦ではなくうどんを喰いたいって時が稀にあるのであります。どんな時かというと、病気あるいは二日酔いのおり。肉体的に弱っている時には、素うどんを欲するのです。何を隠そう、今日の昼も素うどんを喰いましたよ。病気ではない方の理由で。食後、少し、気持ち悪さがぶり返したような気がしたけれど、もう大丈夫、大丈夫さ……って、自己暗示。

 うぎゃぁ、ブオーッ、ブオーッ、て光化学スモッグ注意報発令だって。毎度のことながら、宿酔ヘッドには辛い、嫌な音だなあ。

投稿者 zenta : 2007年05月09日 15:36

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