2007年07月11日
地主様かく語りき
先日、友人のバンドのサポートでちょろっとピアノのようなものを弾いてきた。その現場でも、よっ、地主様、などと声をかけられる。山梨から遠路はるばるやってきた知人に、大地主様ぁ、などと呼ばれる。ゴミ捨ての際には、相も変わらず、おはよう、地主の旦那、などという挨拶を頂戴する。これらのことに何か問題があるだろうか。いや、ない。問題などない。
そうなのだが、私は見抜いております。何をかというと、人々の目が猜疑心に満ち満ちているということをね。地主、地主って、あんた、本当に土地買うたんかい、と、そういう目ですな。疑うような、嘲笑うような。
人気商売をしているわけではないので、他人様にどう思われようと、そんなことはかまわない(程度問題ではあるけれど)。私は私。これが、私は誰、などとなったら大変だ……って、そんな話ではない。
仮に、私が私ではなく、読者であったなら、酔っ払ってクリックして土地買っちゃったよ、うがぁ、なんて話を読んだら、どう思うだろうか。あのおっさん、また嘘ついてはるで、などと敬語系の大阪弁で思うのは、ある意味、当然のことである。
しかしながら、無闇に疑われた私は、人間というのは疑ってばかりの悲しい生き物だね、ははは、などと嘯いて、このまま旅に出てしまおうか、と思わなくもない。いやいや、私は旅は嫌いだ。それに、デカルトという、私よりも365歳も年上の先輩が、何でも彼んでも疑うが宜し、などと宣っていたのを思い出したまえよ。先輩の言うことは多少理不尽でも聞かねばならんのが、サッカー部の辛いところ。何でも彼んでも疑えばええやん。嗚呼、一体、私は何の話をしているのだろう。
兎にも角にも、疑いたき者は疑いたまえ。但し、そこいらの国会議員などと違って、私は疑われるようなことは本当にしておりませぬぞ。
投稿者 zenta : 2007年07月11日 01:23
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コメント
「超人とは現世の一切に対してよしという勇気を持ったものである」
ってフミオもニーチェを引用しとります。ただ、それが誰の訳なんだかわからないんで図書館に行きます、私。
投稿者 shachi : 2007年07月13日 01:24
この人を見よでニーチェにすっごい共感してしまった葉月です。
共感したなんてら言ったらおこがましいですけど。
投稿者 葉月 : 2007年07月13日 14:49
ああ、いいですねえ、共感。ニーチェはまだまだ生きてるんですな。
というわけで、お詫びと訂正です。中野区立中央図書館行きましていろいろ当たっていたところ、上記「超人とは現世の一切に対してよしという勇気を持ったものである」はニーチェ本人のではなく、研究者阿部次郎によることが判明、たいへん失礼いたしやした。
投稿者 shachi : 2007年07月14日 01:43