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2011年04月09日

東京生まれというか、

 ご存知のように、私は東京に生まれ育った。というか、東京の杉並というところに生まれ、その界隈で、半世紀にならんとする人生のほとんど全てを過ごしているような人間であります。
 東京生まれであることを誇りに思うというような気持ちは、実は、ない。けれども、東京というか杉並というか、うちの近所というか、が、とても好きなのは確かですよ。愛着があり、執着もある。いや、ほんと、ここに生まれて育って良かったし、できることなら、このまま、この近所をうろうろ徘徊しながら生涯を終えたいもの。
 そんな私であるけれども、この東京というところにがっかりすることが、ごくたまにある。その代表的なものが選挙というもの。どうも、私が好む(少なくとも嫌うほどでもない)人というのは世間様の嗜好とは違うのだな、と。こういうことは、当然、ある。いや、寧ろ、私は自ら好んでマイノリティの側を歩いてきたような人間なのであるからして、それは当然のことだと言えるかもしれない。うん、そうなんだけれどね。

 ふとしたタイミングで、からす新聞、あるいは、カラーズのことを思い出す時に浮かぶのは、昔の生徒諸君の当時のままの顔、声、変なズボン、とぼけた言動、時には、真剣なまなざし、そんな種々。
 みんな今ではなかなかの年配になっているだろう。中には、新しい家族を持ち、親となっている人だって少なくないはずだ。彼らは、いや、馴れ馴れしく呼びかける体を取らせてもらうなら、君たちは、この淀んだ空を見上げて何を思っているだろうか。

 こんな世界がやってくるということに、私は気づいていなかったのだろうか。気づいていなかったのだとしたらあまりにも愚かだし、気づいていたのに、結句、今日のこの世界を迎えてしまったのだとしたら、それはそれで愚かである。まあ、実際のところ、私という人間はいろいろな点で相当に愚かな偏屈じじいである訳ですけれどね。だが、しかし、今、抱えているこの無力さの底にある愚かさは、引き受けきれない。消化できない。阿呆か。阿呆だ。

 また、都知事選というやつがやってくる。今度もがっかりすることになるのだろうか。その投票率の低さに、その結果に。いや、そんなはずはないだろう、という一握りの期待もある、今度ばかりは。だが、ううむ。

投稿者 zenta : 2011年04月09日 04:54

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コメント

その昔、
空を見つめてボ〜っとしているだけで、
何も悪い事してないのに、
なんで怒られるの?
って言う歌が、心に響いた事があります。

歌のモデルの彼の方が、今の偉い人たちよりもずっと
偉い事を考えていた様な気がします。
怒られながらも、疑問に感じながらも、
僕たちよりも、ずっと色んな事を考えていた気がします。

今、もしかしたら誰よりも早く、
人の為に動いていたかもしれないなぁ。

なんて事を空を見ながら考えたりしています。


投稿者 piccolo : 2011年04月09日 22:17

前回選挙前、初選挙という学生くんたちとの花見の席、
 君が代歌うか歌わないか、自由でいいじゃん。
というと、
 君が代歌うのがふつうでしょ、なんで歌わないの?
って、噛み合わなかった。教師になって、どうしてることやら。

投稿者 shachi : 2011年04月12日 14:29

偏屈じーさん
引退すればいいのになぁ
私の好きな東京は、どうなるのだろうか?

投稿者 flint : 2011年04月23日 12:35

いやあ、東京は放射線の蓄積量も少なくはないし、どうなってしまうんでしょうかねえ。P.K.ディックの描いた近未来SF的な、そんな世界が浮かびますよ。

投稿者 Zenta : 2011年04月23日 12:53

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