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2005年04月06日
温度差
夏は暑く、冬は寒い。東京ってのはそういうところである。但し、同じ東京であっても小笠原辺りに至ると、年中夏に準ずるってことのようだけれど。
その寒暖というのは、標準的な日本語なのであるからして、語自体は汎用性が高い。高いのだけれど、質としては、個々人に依存した極めて感覚的なものである。例を挙げる。
リハーサル・スタジオの過半では冷房が効き過ぎていて、寒くてかなわんよ、と私には思える。けれども、寒がっている私の傍で、半裸になった上で、猶も暑い暑いと騒ぐ戯け者もいる。
六月でも夜ともなれば冷える日も間々あるので、ダウンジャケットを着込んで出かけると、おいおい、全ちゃん、六月にダウンはないんじゃないの、と、驚嘆される。君らこそ、六月にTシャツ一枚ってのはおかしいんじゃないのかね、夏になったら裸で歩くつもりか、と、こちらこそ問いたい気分。どうかね。
私は通常シャワーの温度を37度に設定して浴びている。それに対して、我が家の人々は42度のシャワーを浴びている。37度では寒くて入れませぬ、と申す。彼女たちの体温は私より高いとはいえ、36度台である。何故、37度の水(あるいは湯)に対して寒いという感想を持つのだろうか。彼女たちの感性を尊重して百歩譲ったとしても、「寒い」ではなく「暖かさが不足している」というような物言いが正しいのではないか。
寒暖なんざ、斯くの如く、大きに恣意的に表現されるもので、全く以て人によりけり。尤も、インフルエンザで39度を超える熱を出してくらくらしている人間に関しては、自覚的にも他覚的にも「やばいぐらいに熱い」と意見が一致したのであった。39度超の熱というものには、勝手気儘な佐藤家の人々の意見を統一する程の威力があるのであります。
投稿者 zenta : 2005年04月06日 16:10
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