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2005年04月07日

050407

高円寺のプロジェクトを提出した。最後まで、細心の注意を払って、グラフィックの処理をする、文章を推敲する、レイアウトを吟味する。そんなあたりまえのことを、久しぶりに最高の緊張感とともに終えた。それにしても若い所員たちのなかには、そういう作業に少々無頓着な雰囲気があったのは信じがたいことだった。僕がレギュラーで所員だったころは、提出直前にはそれはもうぴりぴりした空気が漂っていたものだ。その一枚が勝負なのだ。0.1ミリの狂いが全てをだめにする、と言えば少し大げさすぎるかもしれないけれど、それほどの緊張感が漲る中、小さな調整を積み重ねることが、そのデザインにかけたわれわれの意気込みを伝えるのだ。最後がぼければ全てがぼける。
つぎつぎにほんの少しずれただけのコピーしたような複製品が溢れかえり、誰でも簡単にそんなものを作れるいま、一枚にこだわることなど意味がないといえばないのかもしれない。CRT画面の上では、実物の大きさなど意味を持たないのだし。あるのは、ものごとや線と線、点と点の関係性だけだ。拡大縮小は言うに及ばず、動画の加工も意のままだとすると、ひとつのポジションやエレメントにこだわることに、そんなに意味がなくなってしまうと言えなくもない、という一見合理的な結論に至るような気もする。彼らは本当にその一枚に意味を見出さないのだろうか。頓着がないのだろうか。レイアウトやデザインが「動く」ことなんかに慣れてしまったのだろうか。

投稿者 geta : 2005年04月07日 19:08

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