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2005年04月14日

050414

果たしてコンペティションは、最終審査に残ったようだ。公開プレゼンテーションは、来月の14日である。これからまた準備をすることになる。
先日、池袋の淳久堂に行った。ジュンク堂と書くほうが一般的かもしれない。僕の認識では、椅子に座って本を読んで、選ぶもよし買うもよし買わぬもよし、なんだか関西からやってきた商売根性の旺盛な本屋ってなとこだった。マドリッドで計画中の公園のために、何か良い本はないものかとかねてから思っていたのだが、特別期待することもなく、ちょっと近くに来たという理由でふらっと寄ったのだった。生物多様性とか、植物や水のことを詳解した、ちょっと専門的な本を探して入ってみた。まず驚いたのは、1階にでーんと構えられた大きなキャッシャーのカウンターだ。レジを打つ店員が20人くらいはいるだろうか。次から次へとお客さんを裁いている。普通良く行く紀伊国屋書店にしろ、八重洲ブックセンターにしろ、支払いは各階でするし、そのレジにはせいぜい3人とか5人とか場合によっては10人とかが対応しているようである。6階も7階もあるフロアーに、それぞれキャッシャーを置くより、1階に集中して置くほうが、人員削減には役立ちそうだ。買う我々も、全フロアーまとめて支払いできるほうがどんなにありがたいことか、いままでの本屋さんでとても面倒くさいと思っていたことのひとつである。
各フロアーでは、図書館にいるような感じすらするように、普通のというより、いつも良く行く本屋では決して見ないような、そうは売れないように思われる本が、普通に出て行きそうな本に混じって置かれている。すなわち、売れるか売れないか専門的か一般的かという概念ではなく、一律、ジャンルや項目ごとに分けるという、たったひとつの基準によってちゃっちゃと棚に入れられている。だから図書館みたいなのだ。そして椅子があって、座って読んでいる状態が、受け入れられてしまうのだ。各フロアーの店員は、館内PHSみたいな通信装置で1階カウンターと直接話して、客が捜し求めている本が、何番の棚のどちらの側にあるかすぐ調べてくれるのだ。
おそらく、そうした合理化が、棚に陳列する書籍の種類を増やすことにつながってるのではないだろうか。それらの本は、もしかすると玉石混交かもしれないが、チョイスは客がすればよい。インターネットの書店の現実版のような感じがしておもしろかった。結構、関西もいいんじゃないの、などと思ってしまったのだ。

投稿者 geta : 2005年04月14日 19:08

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