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2006年06月27日

ガーネイアンズ

 昨日の誘拐のあったところの近くの教会で、ナイジェリア+日本の結婚式に参列したことがある。先方はみんな陽気に遅刻で民族衣装が歌って踊ってハッピーな式だった。アフリカの西岸諸国はナイジェリアから西にベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボアールと並ぶ。先日、これは仕事でガーナ+日本の披露宴に通訳で呼ばれて行ってきた。新郎の上司同僚友人10名ほどのガーナ男たちはみなシャイだった。
「エクスキューズミー、サー。あの、司会が通訳入れるんで、スピーチ区切って語っていただけますか」
「イエス?・・・イエス、・・・イエス・・・」
主賓の上司は緊張でガチガチ。アフリカ人もやっぱ緊張すんだなあ、など感じつつ偏見の皮がまた一枚、ぺろり。
 サッカーも調子いいことだし、酒も入ればそのうち盛り上がってくるだろうと思いきや、民族衣装で泣くわ喚くわ歌うわ踊るは新婦さんの側おねえちゃんばかり、お母さんもノリノリ、お婆ちゃんはうんうん。ガーネイアンたちは例外なくスーツで散発的にイエーイ。近頃では選挙による政権交代が行われるなど、近隣では比較的安定した国家だとは見知っていたが、野口英世の縁で真面目な人ばかりがやって来るのか。夜になったら昼間の分もガンガン行くんだろうけど、しかし、いつかのナイジェリアンとのギャップ。お国柄、侮れない、ぺろり。

 それにしてもサッカーの話題盛り上がらず。司会がけしかけても乗って来ず。そのとき私の耳には、1957年に近隣でいち早くイギリスからの独立を成し遂げた初代ガーナ大統領、クワメ・エンクルマの演説の一節が響いていた。

——時代は変化しつつあり、私たちもそれとともに変らなければならない。そして、西欧文化の最上のものと、アフリカ文化の最上のものとを、私たちが結びつけなければならないのだ。——[ナンバタフミオの引用(1961)の引用]

 その一つの結実が今のガーナ・サッカーなのか。国民にはガーナ奴隷の末裔もいるというブラジルと、どうなんだ?

投稿者 shachi : 2006年06月27日 23:18

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