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2006年11月15日

羞恥の基準

 何ですか、人間というものは、興奮するとついついでかい声を出しちゃったりするものであります。中には、いやいやぼくはそんなこたないね、だの、あたくしはちがいますことよ、うふふ、などという人もいなくはないだろうけれど、私の場合、おれって何やってんだろうなあ、と、ふと思わざるをえぬほどに、大声を出している場面がある。

 そう遠くないところでは、ワールドカップ。うぉー、だの、うぎゃぁー、だのという奇声をあげること屡々。おまえのねえちゃん何とかかんとか、とはさすがに言わなかったけれど、てめえ、ジダン、ふざけるな、というよりは、もうちょっと汚い言葉で怒鳴り散らすなどしたのでありました。考えてみれば、というか、考えてみなくても、ヨーロッパで行われていた大会、日本では深夜。決勝の、問題の場面なんぞは早朝であった筈であり、うちの近所を散歩、ウォーキングなどしていた人々には、朝から大声で雑言を放つ品のない者が近所に住んでおるのだな、ああ、嫌だ嫌だ、などと思われたに違いない。そう思われても致し方がないほどの騒ぎようではあるわけで、まさに致し方なし。でもまあ、ワールドカップで熱狂できないようじゃ人間お終いだ、ぐらいのことを嘯いて。なので、少なからず気恥ずかしい気がしなくもないのだけれど、許容範囲内……ということにさせて下さい。

 近頃、女子バレーをやっておりますな。世界選手権。何を隠そう、私は女子バレーもなかなか好きなのであります。古くは、白井が全日本に入った頃合いから。近所の商店街で彼女と擦れ違い、その迫力に圧倒され、女子バレー侮れねえ、となったのですよ。近頃は弱くて応援しててもなかなか辛いところではあるけれど、弱ければ弱いほど応援が必要なわけで。
 最初のうちは、まあ、木村沙織はどことなく小高笑子を彷彿とさせるところがあるね、などと、ちょっくらそっくり返りつつ、一応、冷静風味で眺めているのだけれど、競り合いになってきたりすると、よし、上がった、などと叫び始め、気がつくと、高橋、高橋があいてる、竹下、高橋だって、などと咆哮。終いには、ただただ、サオリン、サオリン、サオリン、よーしっ、などと絶叫。
 試合終了後、我に返り、赤面。赤面。赤面ですよ。何気ない風を装いながら、窓を開けて、近所に人はおらぬか、と確認してみたりして。阿呆や。

 サッカーの狂躁は許容できる私なのに、何故、女子バレーでのサオリン連呼には恥ずかしさを感じてしまうのだろう。人の心の彩というのは、まっこと謎に満ちておるものでありますなあ。
 今宵はオランダ戦か。こりゃ、ますます大きな声援が必要だな。

投稿者 zenta : 2006年11月15日 19:07

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