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2007年03月28日

能登半島地震

 能登半島で非常に大きな地震が起きて、大変な被害を齎している。ニュースで一報を目にしてから、あの一日は、付き切りというと大袈裟に響くだろうけれど、そんな気持ちでテレビやインターネットを注視し続けた。
 杉並というローカルな世界に閉じ籠もっている私だが、輪島には蒔絵師である友人がおり、彼を起点としていろいろな蒔絵師、塗師、沈金師の人々とのつきあいがある。直接足を踏み入れたことはないものの、私の中では輪島というのは特別な大きさを持った存在だ。その町が激しく揺すぶられた。物理的な揺れが治まったあとでも、心理的な揺れは続いている。疲弊した人々がぐっすりと眠れる日はまだまだ先になるのだろうか。

 件の友人から無事を知らせる連絡を受けた。ほっとした。僅かなやり取りだけれども、そこから感じ取れるものはたくさんあった。物は壊れても、技術や藝術や人の心が壊れたわけではない。一休みすれば、彼はまた素晴らしいものをどんどん作ってくれるさ、と。

 テレビで見た一言、「じっくりとということになろうけれど、輪島塗の伝統は復興できるので、その点は心配ない」というような。漆器組合の人だったろうか。ここに大きな救いがある。たとえ、建物が壊れ、道が割れ、水や電気が止まろうとも、人が失われさえしなければ、人はまた立ち上がる。心はまた立ち上がる。文化はまた立ち上がるのだ、ということ。

 自然の前では人間は無力である。けれども、同時に、人間というのは存外しぶといもので、輪島の文化はじわじわと復興してくるに違いない、痛みを知った分、より強くより美しい何かを加味して。
 そう、大丈夫だ。

投稿者 zenta : 2007年03月28日 21:06

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コメント

「災害の地にもやがては桜かな」

投稿者 guffaw : 2007年03月30日 02:54

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