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2007年07月18日

規格統一

 私(たち)の知覚は、相当に非力である。
 我が長屋の周辺には、少なくとも七匹の黒猫がおり、黒首輪、赤首輪、病弱のでぶちん、この三種は毎度同定できる。しかしながら、残りのものたちに関しては、顔付きや体格の、あるいは、尻尾の太さ長さの違いなど、ごくごく僅かしか差が存在せぬように見え、こいつは昨日の黒猫と同じだろうか、違うかな、ううむ、などと、悩むこと必定。しかも、黒首輪くん、最近、ちょっとでかくなったのか、おやまあ、などということもあるのは当たり前。何しろ、先様は生き物であるがゆえに。しょっちゅう混乱。
 そこへいくと、猫同士というのはしっかりしたもので、私の目には全く同じに見える黒猫であってもきちんと区別ができている。おっ、君の友だちの黒猫くんが来ておるよ、なんて、我が家のちび公に声をかけてみたら、御当人は尻尾を膨らませて威嚇作業に集中していたり。いつもの暴れ者の黒助が来やがったな、などと睨みを効かせたつもりだったのだけれど、猫違いも甚だしく、ぼく、こちら方面は初めてなものでよろしく、的な愛想の良さで近くまでやってきて、私から程近いところを暫しうろうろしてから静かに立ち去っていったり。左から小振りの黒猫がやってきて、ああ、夜半にちび公と遊んでいる彼だな、なんて思っていたら、同じ大きさの同じような黒猫が右からもやってきて、あれ、こっちかな、と思う間もなく、両名は猛烈な取っ組み合いを始め、黒い団子のようになって広場を転げ回って……両方違うのかもしれん。まあ、要するに、私の黒猫識別能力は相当に酷いってこと。二匹を並べてじっと眺める機会があればその差異をきちんと把握することもできるのでしょうけれど。

 黒猫に限らず、凡そこの世にあるものは、仔細に眺むれば、どんなに似ていようとも二つとして同じものはない。この黒猫とあの黒猫、エビちゃんと妹嬢、ななとりり。似ているけれど、やはり相異なる。それがいい。
 製品と呼ばれるようなものに関してだと、まるで同じ(ような)ものを作り続けなければ、クォリティ・コントロールがなっとらんよ、などと批判されたりする場面もなくはないのだろうが、いいじゃん、ちょっとぐらい違ったって。小洒落た蒔絵の猪口を二つ並べて、微細な差異を楽しむ。手作りならではの味わいと受け止める。

 違いというか間違い。
 例えば、ぺんてるの2Bの鉛筆を買ってきたつもりなのに、封を開けてみたらBが入っていた。寝惚けた店員さんですなあ。が、OK、OK。ノー・プロ、ノー・プロ。例えば、カランダッシュのHBが入っていた。大丈夫だぜ、ベイビー。次からは間違えないでくれよな。ほな、ファーバーカステルの油性色鉛筆のペインズグレーが入っていたら、どうだろう。ま、ま、良いんじゃないの、ぎりぎりセーフってことで。じゃあ、それが赤だったらどうなのか。黄色だったらどうなのか。ううむ。色鉛筆じゃなくてピンクのラインマーカーが入っていたらどうなのか。赤いダッジチャージャー(1969デイトナ)が入っていたら……って、あんた、そりゃいくら何でも違い過ぎますがな。そんなもん間違えるものはおらん。

 何が何だかわからなくなってきたが、違いがあるって良いことじゃん。間違いがあるってのも、程度問題ではあるけれど、悪くない。
 念の為に申し上げると、権利や義務の平等というようなことに異を唱えるつもりはない。そういうことは寧ろ等しくあるべきだと思う。いや、ほんと。
 そういういことではなく、個々のモノ(生き死にを問わず)はそれぞれに違っていて当たり前だし、その方が良いではないか、ってなこと。

 あれ。「規格統一」ってタイトルで何を書くつもりだったんだろう。論旨滅茶苦茶なまま着地することなく終わってしまいますが。

 ちょっと鉛筆を買いに行った筈なのに、まちがえて深紅のダッジチャージャー買ってきちゃったよブオーッて、万々が一、そんな奴がいたら、どこまで阿呆なのか、と思う反面、恰好いいバカっているよな、なんて……そんなことはない。

投稿者 zenta : 2007年07月18日 06:14

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コメント

あんたバカァ? 家の鯖猫3兄弟の区別も解らないわけぇ?
解らないよ。だってflintは何も云ってくれないじゃないかっ!

投稿者 flint : 2007年07月22日 14:13

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