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2007年07月25日

規格統一、なぜかその二

 デジタル化が進むに連れ、ペイパーレスな社会になっていくことでありましょう、というような予言めいた物謂いが屡々為されていたことがあった。紙を使う度合いが減り、それは森林資源の保護にも繋がるのであって素晴らしいことですわよん、というような筋の話をする人もいた。
 もっとも、ペイパーレス化がデジタル化の進行を前提にしているのであれば、電気依存が弥増すであろうことは必至であるからして、一概に阿呆面下げて喜べることでもない。どちらがより地球に優しいのか。というか、少しはましなのか。
 それは専門家に任せるとして。

 御存知のようにMacおたく……情熱減少気味だけれど……を自称する私なんざ、ペイパーレス大賛成、紙媒体など滅びるが宜し、などと思っているに違いない、と想像する人もいるかもしれんが、豈図らんや。寧ろ、しぶとく紙に執着して、時代に乗り遅れ気味の私がいる。
 ひとつには萬年筆おたくでもあるということがありますな。手は二本。しかも、ペンを持って書ける手は一本しかないのに、必要以上にあれこれと購入し、インクだって使い切る前に傷んでしまうでしょうよ、というほどに大量に入手保存。半歩下がって我が身を眺むれば、エコを目指す御時世にそれって、まさにモッタイナイんじゃないの、と一言声を掛けたくなる。でも、やめられん。
 んで、萬年筆を使うとなると、どうしても紙が必要になるのですな。モニターに書くわけにはいかないので、紙に書いてからコンピュータに打ち込んで……などという二度手間をやったりもして、軽く阿呆である。
 あとは、新聞です。今時、新聞なんか取っている奴がいるのかよ、と驚く人さえおるかもしらんけれど。コンピュータつければダーターで読めることばっかりじゃないすか、と言われるかもしらんけれど。まあ、実際、概ねその通りでございますけれどね。やっぱり、紙で読みたいの。前からざらっと読んでいって、最後に番組欄に到着して、お、今日はギャル曽根は巨大オムレツに挑戦か、なんて。
 それに、新聞以上に本、本全般(辞書も含む)。
 純粋に調べるという行為だけに専念するのであれば、デジタル化されたそれの方がはるかに便利だということは歴然だし、実際、そうする場面も多々ありますよ。しかし、それでも、紙の本を読む、紙の辞書を引く、という行為は捨てられない。iPod全盛の昨今でもダウンロードなんて嫌々々やわ、自分はCDを購入せずにはおられんのです、というのと少し似ている。

 ここまででの説明で、私が斯様に紙媒体にへばりつき気味だということは理解してもらえたと思うのだが、ここで私は驚いた。「規格統一」はどこへ行ってしまったのか。またかよ。またどこにも着地せぬまま終わってしまうのか。タイトルを決めて書き始めても毎度毎度それをすっかり忘れてだらだらずるずる迷走するって、これは痴呆化の始まりなのではないでしょうか。大丈夫なのかね。

投稿者 zenta : 2007年07月25日 19:21

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