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2007年08月15日

規格統一、なぜかその五

 片面無地のちらしを折り、切り、束ねる。相変わらずの朝である。
 実際問題、ちらしの裏を使用する場面はあまりない。今書いている文章の下書き。新曲の歌詞の下書き。T氏からの連絡待ち(Kさん経由)、などというようなメモの類。あとは、封筒を糊付けする時の下敷きにしてみたり。孰れにせよ、消費がまるで追いつかず、このちらしの束は増え続けているのであります。

 ちらしの標準的なものは、つるつるの紙。萬年筆のインクはのらなくもないけれど、乾きにくい。鉛筆の類には不適。たまに、藁半紙のものが入っていると、小中学生の頃を思い出したりして懐かしくなくもないけれど、萬年筆には向かない。それ以外にも、インクジェットプリンタで印刷したような再生紙があったり、黄色いちょっと厚手の紙があったり。
 サイズもこれまたまちまち。新中野の例のパチンコ屋の特大のものもあれば、B6の極薄藁半紙もある。A系でもB系でもない、変形ものも少なくはない。ちょっとだけ幅が広いやつがあるかと思えば、いやに細長いものが登場することも、時には正方形のものが入っていることさえある。
 なので、程好い大きさに切っていっても、束は一種類におさまらない。頻繁に登場するものに限っても大きさだけで三種には分類せねばならぬし、極端なものは極端なもので、またいくつかに。初期の頃は、紙の種類、つまり、つるつる、ざらざら、厚手、薄手、なんてことまで気にしてみたこともあった。「白紙は白紙、からすはからす、線香紙は線香紙、陳皮は陳皮……」という『紙屑屋』に登場する若旦那みたいな有り様。孰れにせよ、限りがないので完全な細分化は早々に断念。ふむ。

 何でも彼でも規格統一された世界なぞ味気ないのは想像に難くない。完璧なのは理念の世界だけで十分だ。現実世界では、辻褄の合わないどたばたとした多様性は大歓迎。ちょっとした手違いや失敗さえも受け止めよう。そんなつもりでいる私だが、ちらしに関しては、サイズ、用紙を統一しては如何がだろうか、と提案したい。
 小中学生が使うノートのサイズにできるようにB5かB4、巨大な広告を望むのであればB3やB2でよろしく。つるつるの紙は鉛筆ののりが悪いのでコピー機やプリンタ用の再生紙を使用すること。それを各家庭で折って切ってを繰り返し、近所の学校に納める。んで、計算や漢字の練習用に各自に配布、プリントを印刷するのに使ってもいい。授業中、やる気がしねえなあ、というような生徒は裏側の印刷部分を眺めて暇潰しをすることもあるだろうし、持ち帰ったプリントを保護者に渡した際にも裏を眺めてもらえるかもしれないわけで、折り込みのように一瞬にして通り過ぎるだけではない可能性を期待できる。そういう意味では、広告主にだってメリットがないわけではない。

 文化区杉並からそんな改革を始めてみてはどうかしら。

投稿者 zenta : 2007年08月15日 22:15

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コメント

ぼくの父親も昔、そうやって几帳面にメモ用紙を作りながら「なぜ裏にまで印刷するか」と怒っていましたな。広告主にしてみれば「紙を無駄にしないため」なんでしょうが。

落語の紙屑屋といえば、あの紙屑は集めてどうしてたのかね?当時も漉きなおして再生させる技術があったのかな。

ちなみに中国歴代王朝きっての賢帝、清のヨウ正帝は手紙も反古紙の裏を使っていたそうです。

投稿者 guffaw : 2007年08月23日 19:29

 紙屑屋で集めているもの中では、からす以外は再生ではなく、単純に再利用だったんだと思います。

 ここんとこ、なぜか裏白のちらしが減っています。

投稿者 zenta : 2007年08月31日 14:04

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