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2007年12月26日

待合室にて

 暮れも押し迫ったところで、近所のN診療所にお世話になる。いかした駐車場に自転車をとめ、いかしたガラス戸を開けて、いかしたゆるやかなカーヴをそろそろと進むと、そこはいかした待合室。あ、やっぱり、満杯か。今年も一週間も待たずして終わろうとしている。しかしながら、相変わらずの大繁盛。毎度のことではあるけれど、相当に待つ覚悟が必要だ。
 診察券を提出し、さて、この混み具合なら100ページ、いや200ページは読めるんじゃないかと本を取り出したところで、あら、お久し振りね、と声をかけられる。見ると、そこには中学時代の恩師M先生。あ、ご無沙汰しています、と答えたものの、よく考えると、先週か先々週、道端で会ったよなあ。同じ団地に住んでいるもので、それなりの頻度で顔を合わせるのであります。

 長い長い待ち時間に、同窓の輩や恩師のみなみなさんの近況、思い出話を繰り広げることになったわけですな。この診療所は、同級の特派員Gくんが設計したものなのですよ、どうです。あら、そうなの、モダンな建て物になったわねと思っていましたよ、などとね。随分早くに亡くなってしまった理科のH先生、うちの親父と高校で同級だったんですよ。飄々として良い人でしたわね、などとね。音楽の目玉先生は戦後は米軍キャンプを転々としながら、クレイジー・キャッツと同じ板に乗ったりしてピアノを弾いていたそうですね。うふふふふぅ、面白い人でしたものねえ、などとね。

 長い長い待ち時間のことですから、あれやこれや、お互いの持ち根多をフルに披露しても、まだまだ時間はあり、ふぅと一息ついたところ、私はねえ、老老介護で疲れているのよ、とぽつりと漏らされたM先生。
 世情に昏い私でも、その語の存在は知っている。けれども、それを現実として引き寄せられていなかったんだなあ。突然の響きに、言葉に窮してしまった。もっとも、それは、飽くまでも私の手前勝手な反応に過ぎず、当の先生のご様子は、悲しいとか辛いとか、そういう気配なのではなく、そういう日常なんですよ、という日々の報告の一つであるように見受けられたのだけれど。だが、それだって、私の手前勝手な推測に過ぎないことは自明なわけで。

 今年も間もなく終わる。

投稿者 zenta : 2007年12月26日 18:48

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