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2005年05月25日

園芸家

 毎日毎日庭仕事に勤しむ男あり。
 黙々と取り組んでいると、通りすがる人々に「御精が出ますねえ」と声を掛けられることも少なくはない。その度に、顔を上げて「そんなこともないんですけれどね」などと、曖昧な笑みを浮かべて曖昧な返事をする。これこそが日本的なコミュニケイションを代表する一つの形である。
 困るのは、これは何ですか、などと尋ねられることである。これは困る。とても困る。何となれば、私は草花の僕となって可能な範囲で面倒を見させて頂いているに過ぎないのであって、決して草花に詳しい訳ではないのだ。この狭い花壇のようなものの中にあるもののうち、正確に名まえを知っているものと言えば、片手に余るという具合。正直に、いや、ちょっとわからないですね、と答えると、相手としては、何だか変なことを訊いちゃったのかな、というようなもやもやした顔をして、あははは、では、また、などと、中途半端な挨拶をして去ってゆく。私の方でも、又もや曖昧な返事をかえして。
 中には、他のなら知っているはずよね、と気を遣って、別の植物を指し、じゃあ、これは何ですか、などと、尋ねてくる方もいる。しかし、それこそ、絵に描いたように、親切が徒になるという図なのである。すみません、それもわからないですね。そうすると、先方はますます気を遣って、じゃあ、これは、などと尋ねてくるわけで、すると私は、それに対しても、すみません、それもわからないんです、と答えねばならず、そうなると、気遣い魔王は、あらあら、じゃあ、これは何かしら、と問いを重ねる。にも拘わらず、答えられない私の、ああ、何と見苦しい事か。こうなったら、嘘でもいいから何か答えなくてはならん、という切羽詰まった心境になり……いや、いっそのくされに、腹掻っ捌いて死を以て詫びとするしかないか、ああ、短い人生だったなあ……と、そんな私の目の踊り具合に気づいてか、あら、これは紫蘇よね、そうそう、紫蘇だわ、などと独り言を呟き、女性は去っていった。嗚呼、助かった。この世に未練はないけれど、こんな形で世を去りたくはない。既のところで助かったわい。

 斯くの如く、園芸家の朝は意外なことで、意外に辛いものなのである。生半な心で園芸家になろうなどと思わぬが良いぞ。

投稿者 zenta : 2005年05月25日 14:02

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