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2006年11月01日

学校というところでは

 学校というところでは、昔から摩訶不思議なことが罷り通っていた。それは、私たちが子どもだった時にもそうであったし、その後、家庭教師や塾屋、高校の講師なんぞをしていたときにもそう感じていたし、きっと今でもそうなんだろうと思う。
 学校で教えている人々も完璧なんぞではない。当たり前だ。管理する人々も完璧なんぞであるわけはないし、学校に関わる規則や法を云々する人々だって完璧なわけはない。それは昔からそうであったのだ。だって、所詮は、人間という、完璧からは程遠い不完全な存在がやっていることなんだからさ。
 だが、しかし、それでも昔の方が少しはましだったぜ、と思う。そう感じている人は少なくないはずだ。何が違うのかと考えるに、一番の違いは心意気でしょうな。人間は完璧なんぞではありえないけれど、せめて、矜恃だけは高く持っていてくれよ、と。そういう意地さえもないのなら、教育に関わる仕事なんか選ばないでほしい。いや、ほんと。

 昨今のニュースを目にし耳にし、うんざり。うんざりの百倍。うんざりの百倍の百倍。吐き気がする。
 この社会が歪んでいるのは御承知の通り。そして、そういう歪みは弱者のところで弾けるのである。こんな在り来たりなことを呟かずにはいられない今日この頃。明日はどっちだ、とジョーの主題歌を口遊む。ああ。

投稿者 zenta : 2006年11月01日 16:59

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コメント

『モッタイナイ』の次ぎは『ミットモナイ』が採用されそう。

投稿者 guffaw : 2006年11月03日 05:36

と思ったら、今日の新聞では、BONOが「ホットケナイ」を提案しているんだって。
BONOさあ、あんた夕張の事情なんか知らんだろ?
外面ばっかり美しい見栄っ張りの国なんだから、あんまり煽んないでおくれな。この冬、北朝鮮ばりにアブナいんだぜ。
アベちゃんがその気になったらどうしてくれるんだ。
 


投稿者 guffaw : 2006年12月01日 17:54

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