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2008年06月30日

べべ〜ん!とそいつは三味線の音で始まる

三宅島に移り住んだ、親父さんから葉書が届いた。
イベントの案内葉書。

昔から、詩を書いたりしていた親父さん。
何でも西荻でやるイベントに参加するらしい。(笑)

津軽三味線と、詩の朗読。


葉書には何もメッセージはなく、
ただその案内のみ。

前から、埼玉でイベントやったり、
隅田川の辺で朗読会やったりしてたのは知っていたものの、
僕は行った事が無かった。


流石に今回は、高円寺に住んでる身としては、行っておくべきだろう。

その前の晩はクラブに行くんだけどなぁ、行けるかな。
朝帰ってきて、一眠りすれば大丈夫か。

そんな事を思い、父ちゃんに電話して行く事を伝える。



当日は雨。
昨日の夜のクラブの余韻が抜けないままに西荻窪へ向った。


奇聞屋というライブハウスの階段を下りて、
中に入ると親父は受付の前にたっていた。

「お、なんだお前。遅れるかもって言ってたけど間にあったじゃん」
「まぁ、適当なとこに座っときなよ。」

と、いつもの感じ。

店の中には、もうすでに30人ぐらいは入っていて、
大半は僕の倍ぐらいの年齢の人たち。

そう言えば、昔の人は、外に出かける時は正装するんだな。

スーツ来たおじさんや、お出かけ用の服をきたおばさん。
スーツじゃなくても、どことなく個性的でフォーマルなジジババ達の集団。

なんだか、戦友会みたいだ。
そんな事を思った。



自分の親にだって、当たり前のように子供時代や、
青春時代がある訳で、

考えれば分かるのだけれど、
それを目の前にするとちょっと不思議な気がする。

子供たちにも友達のように話す父親だけれども。
親父が自分の友達と話してる姿は新鮮だった。



年の割に、色気のあるおばちゃんが僕の隣に座る。
親父が僕を次男坊だと紹介する。

あらやだ、ジロちゃんこんな立派な息子がいたの!?

そんな風に会話が始まる。


うちの親父のもう一つの名前。
詩を書く時の名前。親父自身も次男坊だから、次郎。
つづきのジロちゃん。


話している内にテーブルの上にある砂糖みたいな物に目がいった。


何かしらこれ?お砂糖?


すると親父が、

これはさ、山本さんがベトナムに行ってきた時のお土産。
むこうの飴なんだってさ。

と答える。


ベトナムの飴ねぇ。
癖は無いのかしら。



あんたよりゃぁ、無いよ。


あら、じゃあ安心ね。



笑いながら、そう言った後に
おばちゃんは飴を口に放り込んだ。


何だか、昭和の喫茶店みたいだ。
そんな事を想いながら、親父が島で撮った写真を眺めていた。


その内に、人ももう少し増えてくる。
すると、三味線のお師匠さんが前の段に上がった。

照明がすぅっと暗くなって、

みんなが、しんと静まった瞬間。




ベベ〜ン!

といきなり三味線の音が鳴り響く。


すげー格好良い。
思わず嬉しくなった。

昨日のクラブとは全然違う世界へ、一気に引きずり込まれた感じだ。


その三味線のお師匠さんは有名な人で、
演奏も上手い。

べんべんべん。だだーん!
と一気に1曲引き上げた後で、MCが入った。

その後で、ジロさんの詩の朗読。
他にも女性の詩人が二人。

2番目に詩を読んだおばちゃんなんて、めちゃくちゃ存在感があった。
何年か前に、亡くなった旦那の話を少しする。
でも、今でも愛してるんですよ。と、一番の笑顔で微笑む。
 
そんな、旦那との話を
殆ど、独り芝居のような形で、詩と交えながら語る。
 
節分の日にいった父ちゃんは、鬼になって
私の厄をぜーんぶ持って行っちゃった。
 
 
 
 
 
そして最後にお師匠さんが、
即興で、今日の心をばしっと引き上げて終了。
 
こんな世界もあるんだなー。
と感動した。
 
お金やビジネスにはならない世界。
詩なんて、限りなく自己満足の世界だ。
それでも、そんなジジィやババァが集まって、何かやる
そのエネルギーはやっぱり素敵だ。
 
ジジババにだって今でも、青春ってものはあり
人はいつでも今を生きているんだと。
 
 
 
ジロさんは、僕の親父としてはそこそこで、
家族の長としてはろくでもなかったのかもしれない。
 
でも、人間としてはそんなに捨てたもんじゃないと思った。
 
 
実は親父、みんなに出した葉書に
朗読会はこれで最後。
と書いたらしい。(そのつもりで)
 
そしたら次回の案内がお師匠さんからアナウスされた。
 
おじさんはおばさんは、オオカミ少年じゃなくて、
オオカミ老人に騙されて来ちゃったよー。
と口々に言っていた。
 
 
打ち上げの後、お師匠さんから、息子さんは詩を書くの?
と訪ねられた。
 
うーん、親父に見せた事はないです。
 
 
書いた事はある、という意味で
僕が少し笑って答えると、
 
嬉しそうに、
ほらね、ジロさん。ちゃんと背中を見てるんだよ。
と親父の肩をたたいていた。
 
 
 
好きな写真があったら、持って行っていいぞ。
もっと上手くなる予定だから。
 
と、親父が笑いながら言うので、一番好きな奴をもらった。
 
 
三宅島で、仙人になりますといって出て行った親父さん。
仙人は無理だから、百人ぐらいかな。
 
そう言えば、引っ越しの案内にはそんな事が書いてあった。
 
 
大きめのビニール傘に大粒の雨がバラバラとあたる。
 
その内、島にも遊びに行かなきゃなぁ。
そんな事を帰り道に思った。

投稿者 kajiya : 21:54 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月27日

お楽しみ

懲りもせずにバンドなどやっておるわけですが、最近ギターを弾くことになって練習をしております。あんまり今までちゃんとギターを弾いてこなかったので気付かなかったのですが、エファクターって意外におもしろい。マーシャルのアンプに直が一番だ、なんてずっと思ってましたが、エフェクターでものすごい歪ませたり、ワウでグワングワンやったりするのって楽しいんですね。楽器を始めたばかりの高校生のような情熱を取り戻した気がします。あとはもう少し良いギターが欲しいんだよな、なんてへたくそなくせに欲が出てきてます。未だに格好から入る癖は取れていないようです。

投稿者 quwabara : 17:42 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月18日

もう

 22/31、もう70%余りが終わってしまったのだ。もちろん、EUROの話である。

 予選リーグの最終戦は平等を期するために二試合同時に行われる。それをずらして放送するわけで、テレビの前に座っている時間は大雑把に言えば三時半から九時というところ。夜中のうちに少しだけ仮眠を取り、二試合を見終わってから就寝することにしているのだが、興奮が静まってきてようやくうとうとし始めたところで、ピンポーンと宅急便が来る。寝呆けながらも階段を下り、玄関まで出て、判子を押したり何だりを済ませて、ううむ、再度就寝に挑む。まどろみ始めたところで、今度は電話ですよ。こんな時に限って、断りようのない相手からの小難しい用件であったりするもの。一段落して、時計を眺めて、うおぉ、目が回る。慌てて蒲団に潜り込む。ところが、どうしたことか、中途半端に目が冴えて、眠気が近寄っては遠ざかり、近寄っては遠ざかり……。

 22/31、もう70%余りが終わってしまったのだ。たったの9試合しか残っていないのかと思うと残念でならないけれども、身体のことを考えるなら、このぐらいがちょうどいいのかもしれませんなあ。いやはや、欠伸が止まらない。そして、時々、立ち眩み。

投稿者 zenta : 23:41 | コメント (2) | トラックバック

見たい見たいと思っていつも見るのは朝のニュースで結果だけ。情けない限りです。
学生の頃は時間なんか気にしないで見れたのになぁ。

投稿者 quwabara : 2008年06月19日 21:32

 その「情けない」って心境を味わうのも良い経験になるんじゃないの? もっとも、一生、そのままだったら、良い経験もくそもないってことになるのかもしれんが。

投稿者 zenta : 2008年06月21日 03:24

2008年06月14日

Euro

何が違うって、パスですな。パスの速さと距離が全然違うのが一目瞭然です。同じ日にヨーロッパ選手権とワールドカップ予選なるものを、二週も続けて見せられてはいけません。一本一本のパスは速く、それなりの距離を正確に軌道を描かなくてはいけない、らしい。あたりまえだがそんなことを再認識されるのだ。ボールに意図があるかのように、相手の守りを崩すように繋がって、敵のゴールへ迫る。目的はゴールを奪うという単純なことなのだと、これまた再認識されてしまう。
それにしても、毎度同じだが、Euroは面白い。前回に比べればまだまだかもしれないが、それでも最初からアクセル全開なのだ。見るほうも気合いが入ってしまうではないか。
ヨーロッパはひとまとまりだなあと感じます。南米選手権も、こちらは照明が暗かったり試合の途中で停電したりということも手伝って大きな村祭りの様相を呈してたけど、ヨーロッパ選手権だって同じようなもの。どのチームにとっても地元のようなものだからコンディションもいいし、応援もど迫力だ。夏祭りなんですなあ。
試合の結果は別として、今年のオランダは好きですね72-74年のオランダのように、見ていて楽しいサッカーをするじゃないですか。いやあ可能性を感じるなあ。最近のオランダは、それなりに強かったけど、私はどうも好かんかったのです。両サイドにボールを張って、走力と高さにものを言わせて点を入れるのでは、ちと機械的すぎる感じがしてました。それが、今年のチームは真ん中の攻撃も加わって、何だかわからないことが起きそうな、見ていてわくわくする感じがします。
ファンバステンは、やはりミケルス、クライフの流れに乗ってるのですな。大会が終わると、アヤックスの監督になるそうですが、代表監督も兼任してほしいなあ。代表=アヤックスという、かつての構図でも構わないから、と思うくらいです。
それにしても、毎日こんなんじゃ身体がもたない。やはり明け方まではきついのだ。しかし、熱狂の中で眠りにつくのが、これまた幸福感に包まれて、快感、ではある。

投稿者 geta : 07:49 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月11日

またやってきたのですよ。2

 またやってきたのは痛風ばかりではない。
 EUROの季節。EUROの季節がまたやってきた。うひひひひ。
 楽しいけれども、きつい。きついけれども、楽しい。いや、実際の話、肉体的にはなかなかに厳しいスケジュールが続く訳で、前にも書いたような気がするが、ブラウン管の前で観戦するのだって、グラウンド上で丸いボールを追いかけ回している人々に負けず劣らずきつい。疲労困憊。眠れない夜。ま、でも、楽しい。けれども、きつい。……って、堂々巡り。
 先は長いような短いような。

投稿者 zenta : 06:51 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月07日

EURO 2008

いよいよ今晩から4年に一度の修行がやってきます。本大会に出場する各国の力量は拮抗し、グループリーグのどの試合を観戦するにも気を抜けないのが、修行たる所以です。内容の濃さはワールドカップ以上であります。皆さん、しかと1ヶ月の修行を成就されてくださいまし。
本大会の修行に先立ち、今日は他に2つの試合があり、合計4試合の荒修行であります。現状、二試合目は灼熱のアウェー戦と化してるようですが、驚いたのは1試合目のチャリティーマッチに、往年のストライカー釜本が出たことです。メキシコオリンピック得点王の64歳。彼が走って、得意の得意の右45°のポジションに張ったのに、......誰もパスを出さないではないか......。右45°に張った釜本には、パスを一本預けるのが礼儀だろうに。どいつもこいつも、若い奴らは、そんな礼儀もわきまえないのか、それとも往年の釜本の右45°のことなんざあ知らぬ輩ばかりなのかよ。そのポジションに張る釜本も釜本じゃのう。

投稿者 geta : 23:11 | コメント (0) | トラックバック