2008年06月14日

Euro

何が違うって、パスですな。パスの速さと距離が全然違うのが一目瞭然です。同じ日にヨーロッパ選手権とワールドカップ予選なるものを、二週も続けて見せられてはいけません。一本一本のパスは速く、それなりの距離を正確に軌道を描かなくてはいけない、らしい。あたりまえだがそんなことを再認識されるのだ。ボールに意図があるかのように、相手の守りを崩すように繋がって、敵のゴールへ迫る。目的はゴールを奪うという単純なことなのだと、これまた再認識されてしまう。
それにしても、毎度同じだが、Euroは面白い。前回に比べればまだまだかもしれないが、それでも最初からアクセル全開なのだ。見るほうも気合いが入ってしまうではないか。
ヨーロッパはひとまとまりだなあと感じます。南米選手権も、こちらは照明が暗かったり試合の途中で停電したりということも手伝って大きな村祭りの様相を呈してたけど、ヨーロッパ選手権だって同じようなもの。どのチームにとっても地元のようなものだからコンディションもいいし、応援もど迫力だ。夏祭りなんですなあ。
試合の結果は別として、今年のオランダは好きですね72-74年のオランダのように、見ていて楽しいサッカーをするじゃないですか。いやあ可能性を感じるなあ。最近のオランダは、それなりに強かったけど、私はどうも好かんかったのです。両サイドにボールを張って、走力と高さにものを言わせて点を入れるのでは、ちと機械的すぎる感じがしてました。それが、今年のチームは真ん中の攻撃も加わって、何だかわからないことが起きそうな、見ていてわくわくする感じがします。
ファンバステンは、やはりミケルス、クライフの流れに乗ってるのですな。大会が終わると、アヤックスの監督になるそうですが、代表監督も兼任してほしいなあ。代表=アヤックスという、かつての構図でも構わないから、と思うくらいです。
それにしても、毎日こんなんじゃ身体がもたない。やはり明け方まではきついのだ。しかし、熱狂の中で眠りにつくのが、これまた幸福感に包まれて、快感、ではある。

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2008年06月07日

EURO 2008

いよいよ今晩から4年に一度の修行がやってきます。本大会に出場する各国の力量は拮抗し、グループリーグのどの試合を観戦するにも気を抜けないのが、修行たる所以です。内容の濃さはワールドカップ以上であります。皆さん、しかと1ヶ月の修行を成就されてくださいまし。
本大会の修行に先立ち、今日は他に2つの試合があり、合計4試合の荒修行であります。現状、二試合目は灼熱のアウェー戦と化してるようですが、驚いたのは1試合目のチャリティーマッチに、往年のストライカー釜本が出たことです。メキシコオリンピック得点王の64歳。彼が走って、得意の得意の右45°のポジションに張ったのに、......誰もパスを出さないではないか......。右45°に張った釜本には、パスを一本預けるのが礼儀だろうに。どいつもこいつも、若い奴らは、そんな礼儀もわきまえないのか、それとも往年の釜本の右45°のことなんざあ知らぬ輩ばかりなのかよ。そのポジションに張る釜本も釜本じゃのう。

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2008年05月03日

park

東京の中心にも豊かな自然が残る緑地があって、武蔵野の大地を散歩するかのような気分を味わえます。今回はJR目黒駅からほど近い自然教育園というところに行ってみました。その森は、変化せず不変のようでいながら、実は今もそのかたちを変えつつあるというのがよくわかります。植生遷移といいますが、時間をかけて森が安定した極相にいたるということで、今はまだその途上にあるのです。明治神宮などもそのような植栽計画がされました。松などの生長の早い木々がまず大きくなり緑地をつくります。人の手が入って、その下で芽を出す低木が刈られているうちは、そこは松林なわけですが、手入れがされなければ、成長の遅い照葉樹が成長し、やがてそれらの陰となって松が枯れ、何十年か後には照葉樹の鬱蒼とした森になるのです。シイやカシといったドングリを落としてくれる木々がその照葉樹で、日本の多くの地域の原生植生ということです。目の前に現物を見ながら、自然のしくみをリアルに実感するのは楽しいことでした。樹木図を携え行ったのですが、国立科学博物館付属の自然園らしく、動植物の名前や解説がとても充実してたのはありがたかったです。
しかししかし、こういう自然は、もともと普通の生活に密着したところにあったのだよね。自然をもとめて電車に乗り都心に向かうとは、どうも不思議なものではあるわけです。
それにしても、いろいろな色の重なる緑はきれいで、やっぱり自然の中というのはいいんでしょうか、気持ちもまたゆったりとした晴れ晴れしたものになりました。園の中には湿地もあり、カワセミが生息してるらしいですよ。

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2008年04月26日

ひろっぱ

JR中央線で高円寺駅をでるとすぐに北側に建設現場が見える。杉並区が建設中の劇場の建築現場で、劇場の名を「座・高円寺」と言う。去年の公募でその名が決まったということだが、劇場案を選んだ建築のコンペのセンスとはちょいとかけ離れてるような気がしなくもない。そのあたりは演劇的なセンスということであろうか。
現場を見学させてもらった。工事は、地下3層のコンクリートの工事をやっと終えて、地上の鉄骨工事が進んでいる。狭い敷地に小劇場が3つと練習場、カフェやアーカイブが詰まっているので、地下は10m以上の深さになる。高円寺の雑多な都市空間に、垂直方向に地下空間に向かって、演劇人の夢がつまっている。それも演劇的な暗さや深さのようなイメージに繋がる。
当然、3つの劇場は重なるわけだが、現実の工事現場は、スケールのことなる沢山のものが重なりあい、実に密実で隙間がない。天井裏になる空間を、空調用のダクトが縦横無尽に走り、その間隙を縫って照明の配線やスプリンクラーなどの防災配管がなされ空間を埋め尽くしている。何もないボイドであるはずの劇場空間さえも、反転して空気が充密実に填されてるように思える。
ゆったりした気持ちのいい螺旋階段を上りきると地上の劇場にでる。地上の劇場は、街と連続した広場のような空間という考え方だったから、平土間の床が周囲の地面と同じ高さになる。大きな扉が開き、外部の空間と一体になるのである。
劇場の壁がそこそこできて囲われた感じがでてきた。ちょうどいい大きさの空間だ。舞台と観客の密な一体感が達成されるように思った。花曇りだったが、屋根がないおかげで、地上の劇場は明るく街の中にぽっかりできた空地のように感じられた。まるで原っぱや、神社の境内、西洋の広場のようである。いっそのこと、屋根をつくらないか、テントにして取り払うこともできるようにしてしまえば、実に開放的な空間になるだろうと思った。都会の真ん中にポンとできた空地で演者と見るものが場をつくる、最初に考えた演劇空間の原初のかたち、とはそのことだったのだ。
工事はこれからがクライマックスだ。あと二三ヶ月もすれば、波打つようなテントのかたちをした鉄板の屋根が、ひろっぱを覆うことになる。

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2008年04月19日

予想

このところMacさまと仲良くしてるのだ。もっとも他にすることもなく暇だからなのではある。それで毎週土曜の日課はというと、こうやってからすを書くことと、サッカーくじを買うことになった。最近は、なんでも机の上からできるので至便なことこの上ない。心を改め入会しようとした建築学会なるものの手続きもオンラインでできた。Up to dateなマシンを手元に置き、家に生息するねこにゃんをかわいがるのと同じように、Macさまをかわいがっていさえすれば、外に行く機会は相当に少なくてすむ。自称引きこもりという友人の気持ち&生活がよくわかる、気がする。その分、ねこにゃんと遊ぶ時間もふえるのだから素晴らしい。ねこにゃんは、私の行くところ行くところ着いてきて、足にまとわりつき、そのうちすぐそばでちょんと正座する。
サッカーくじには自分で試合の勝敗を予想するタイプのものと、コンピューターが勝手に予想してくれるのがある。自分の知能で当てるのが本来の姿だと言えなくもないが、面倒くさくもある。それに本当に夢みているのは、試合の結果を当てることではなく、大金を当てることなのだ。予想もつかない結果でなければ、高額配当などあり得ない。そんなりくつをこねて省力化の流れに乗るのだ。
しかししかし、そうは言っても小さいときから玉を蹴り、日本がワールドカップに行くことなんぞ、それこそ予想だにしなかった我が身としては、試合そのものの展開や結果を予想してもみたりしてみたくなるのだ。先週の教訓を胸に、鹿島とガンバは順当なら鹿島だろうけど、ガンバもここのところ適地でしぶといからなぁ、とか。浦和と大宮は、みんな浦和が勝つと思ってるだろうけど実は怪しいか、などなど、今日の午後からを楽しみにチェックボックスに印を入れていったのだ。イタリアのバールで本場のtotoに興じる輩のように...。
そんなこんなで、やっとすべての試合の予想を終えて、お、結構いけるんじゃない、と久々に悦に入り、ふとメニューバーに目をやると、ありゃ...が〜ん、12:53ではないか。締め切りは50分だったのだ...。と言う訳で、今日の午後は、また暇になったのだ。

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2008年04月12日

F1

またセナが星になってしまった季節が近づいてきた。イモラの大会は確かゴールデンウィークのころだったと記憶してる。毎年、新緑が美しくなるこの頃に、ヨーロッパの夏へ向かう喜びやひかり溢れる華やかさが、モナコのグランプリの映像を通して伝わってきた。
今年は、初台のオペラシティーギャラリーでF1展が催される。今日から一般公開された。会場には、カクテル光線に照らされて怪しくもきらきら光る、実物の車体が数多く展示されている。Renault R25, BAR Honda 006, McLaren Honda MP4/4, Lotus 77, Ferrari 2005, Williams FW14B, Brabham BT120, Cooper T51。
会場の最初の案内に、F1の各チームがそれぞれ独自の技術とデザインを追求してグランプリに挑むと書かれていた。実は、デザインという言葉に違和感を覚えた。F1は技術の追求であることは知っていたが、時速300キロを超えるスピードと耐久性のぎりぎりの勝負には、それに見合う合理的なかたちがあるだろうと。デザインという言葉に潜在するような、かたちにおける恣意性が入り込む余地はないのではないかと思っていた。ところがどうだろう、実物の車体は、どれも見事なまでに一台一台異なり、徹底的にデザインが追求されている。言葉にならないほどに美しい。技術と密接に関連してかたちが、そこにあらしめられている。恥ずかしながら、ずっとテレビでグランプリを見てきたのに、こんなことを知らなかった。
車体はアルミ板なのだろうか、10mmほどもない一枚の板が、丁寧に形つくられ、エンジンへの空気の取り入れ口となっている。サイドミラーは今にも折れそうなほど細い。
会場には、ひとつのレースが終わると、車体は粉々になってしまうほどの極限の戦いである、というポルシェの言葉が紹介されている。その気迫が、局限への挑戦の迫力が、車体から伝わってくる。
ふと近代の画家、菅井汲(すがいくみ)の硬質なタブローを思い出した。スピードの極限への憧れが、カドミウムレッドの風景を描いたのだ。その赤色は、フェラーリのように疾風するのだ。

展覧会は6月29日まで。http://www.operacity.jp/ag/ 

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2008年04月05日

 ひかりのどけき春の日にわが家の庭にも花がひらひらと散りゆきて、少しゆったりした気持ちになるものです。小学校の卒業記念にもらった苗木のソメイヨシノが大きな樹になりました。そう言えば、去年の夏、毎日夕方になると近所の川沿いの公園へ散歩に出かけて行ったものです。地域の再発見なぞと言いながら、特に目的なくその日によって東へ西へ気の向くままに近所をぶらつくのですから、まあ怪しいと言えなくもありません。途中で出会うのは、ランニング姿のリタイアしたような高齢の方ばかりでしたから。
 川沿いの公園には「田んぼ球場」という名の簡単なフェンスで囲われた空き地があって、小学生の頃日曜日になると、クラス対抗の野球の試合をしました。走り回り少し離れた池でつりをしたり、中学生になってもサッカーをしたりランニングをしたりと公園にはお世話になりました。その頃の公園の印象は、なんとなく空虚で寒々としていて、なにか茫漠としたものに身体が晒されてるようでした。あまり居心地がよくなかったのです。
 年月を経て、久しぶりにゆっくり歩いてみると、公園の空間は豊かな生命感に満ち溢れているように感じました。木々が相当高く、幹も太くなって樹冠も大きく広がりました。当時はスカスカに感じられた頭の上の空間はずっと密度が濃くなって、人びとを包み込みます。低木もこんもりして、今ボールを探すとしたら随分と大変なことになるような。木々の枝がゆったりと風になびき、多くの虫や生き物が生息していることを直感的にも知ることができます。人びとも自然に集まる空間になっていました。当時整備されたばかりだった公園が、30年以上の年月を経て違う場所になりました。そんなことに気がついたものですから、それだけでとても豊かな気持ちになりました。そして同じ頃に整備された団地では、今年も花見ができましたね。

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