2005年09月08日

欲しい本はあれども・・・

最近よく図書館で調べものをしている。小さな図書館でも、探している本が意外と見つかってくれるのでうれしい。中には欲しくなる本もあるのだが、大抵そういったものは絶版になって手に入らない。古本屋のHPで検索してみても、やはりなかったり、値段が2倍くらい平気で釣り上がったりしている。それだけ良本だということでもあると思うのだが、何故そういった本はなかなか再版にならないのだろうか?やはり採算を考えると再版は相当割に会わないものなのだろうか?どうでもいい雑誌なんか出版しなくてもいいから、再版に力を入れて欲しい。

投稿者 tsubaki : 08:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月25日

難波田龍起・史男展

 難波田龍起・史男展を観てきた。JR富山駅から車で15分ほどの閑静な所に難波田龍起・史男記念美術館がある。小さな美術館ではあるが、龍起・史男の画業が分かりやすく展示されており、教科書的に良くできた展示を観ることができる。

 私の眼を惹いたのは龍起の絵で、特に二人の息子が亡くなってからの一連の作品には圧倒される。それらには、自己の内面を擬と見つめ続けた執念のようなものが感じられる。妖しく深みのある色彩を纏った形のない形は、観る者の側に漣を立てるような攻撃を仕掛けてくる。思わず見蕩れてしまった。

 ギャラリーの方々は非常に親切で、頼みもしないのに、鑑賞する前にお茶で持て成し始め、帰る前にはコーヒーを出してきて、色々と話をしてくださった。というのも、滅多に観覧者が現れないそうで、偶に来たお客ということで、重宝がられたようなのである。ギャラリーを訪ねて、開口一番に「どういったご用件でしょうか?」というぐらいだから、一寸可哀想な気もする。

 東京の方でも難波田龍起・史男展を遣っているそうだが(東京オペラシティ)、もし時間に余裕があるようなら、富山の方にも行ってみたらどうだろうか。美味しい酒と魚もありますよ、っと言っても、やっぱり遠すぎて行かないよなあ。

投稿者 tsubaki : 13:32 | コメント (1) | トラックバック

 オペラシティの方は行ってきました。けっこう良かったです。お薦めします。遺稿など読み込んでてひいき目になってるんだろうけど、息子の方が私は気に入りました。
 だから、いつかは富山。「ご用件」、積もる話、聞きたいです。

投稿者 shachi : 2005年08月29日 02:01

2005年08月11日

家電製品

 このところ、暑さのせいなのか、家電製品の調子が悪い。ビデオとラジカセは電源が入らないし、テレビの画面は横線一本を映すのみ、パソコンの稼動音はいつの間にやらビープ音になっている。昨日に到っては、バルコニーで直射日光を浴び続けた洗濯機が廻らなくなってしまった。冷蔵庫とクーラーが壊れてしまえば、全滅である。
 身体の方も暑さでまいっているのか、どうも調子がよくない。昔はなんともなかったのに、今ではちょっとした暑さで弱っている気がする。冷房に慣れ過ぎてしまうと、蒸発しにくい汗が出て、体温が下がりにくい体質になってしまう、とどこかで聞いたことがある。身体に変調が起こっているということなのか、単に根性がないだけなのか・・・、両方なのかもしれない。いっそのこと、クーラーも冷蔵庫も壊れてしまえばいい。そうすりゃ心身共に健康を取り戻せるかもしれない、なくてもそれほど困るようなものなんてありゃしないし、なんて思ってもいないことを呟きながら、やはり壊れた家電製品を直しに行くのである。

投稿者 tsubaki : 06:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月28日

再発見

田舎には観るべき藝術がほどんどないんですよ、と今まであちこちで触れ回ってきた。しかし、よくよく考えると、実際に地元にどんなものがあるのか調べたこともない。少し調べてみると、ちょっと興味をそそられる展示等々が幾つかあった。

難波田龍起・史男記念美術館
富山県水墨美術館
富山市篁牛人記念美術館
富山県立近代美術館(横尾忠則が招待するイッセイミヤケ パリコレクション1977-1999)

上京したばかりの頃だったら、どれも見向きもしなかっただろう。東京で身に付いた、貴重な眼差しの御蔭である。

それにしても、改めて美術館・博物館の類いの建物って多いんだなあ、と驚いてしまった。私の田舎にあるものだけでも、ざっと16館である。いったい全国にどれくらいあるのだろう、と調べてみると、嘘か本当か1000館以上もあるようだ。そんなに多くの美術館・博物館があるということは、果たして良いことなのかどうなのか。

投稿者 tsubaki : 03:49 | コメント (1) | トラックバック

そうなんだよ、難波田親子の美術館、あるんだよね、富山に。行きたいんだけどねえ、北アルプスも恋しいがなあ、ちと遠いかな。

投稿者 shachi : 2005年08月04日 20:02

2005年07月14日

農作

2ヶ月程前に私は畑を耕していた。父親が例年通り野菜を植えるというから、張り切ってその手伝いを買って出たのだ。今年は40㎡ぐらいの広さで、トマト、胡瓜、茄子、ピーマンを植えた。一口に植えると言っても、その下準備は大変である。まず、雑草もろとも耕して、深さ40〜50センチ程の深い溝を造り、灰、生ゴミ等の有機肥料を埋め戻す。これで、1日。畝を造り、崩れないように畝をビニールで覆い、苗や種をあれこれ揃えて、植え終わっている頃にはもう1日経っている。まあ、足腰の筋肉痛は全く面白くないのだが、そういった手間のかかるところが面白いところでもある。収穫までにも、色々と手入れをしなければいけないが、誠に不本意ながら、それは父親に任せることにした。
小さい頃から、当時は農家の祖父母が健在だったこともあって、農作物に触れる機会が多かった。もちろん、廻りで悪戯をしながらも手伝っていた。その間に、農作物を育む喜びみたいなものを、不思議と感じ取っていたのかもしれない。
あと1ヶ月もすれば、陽をジリジリと受けながら、赤くて重いトマトやら、硬い棘をツンツン突き出した胡瓜等々ができているだろう。楽しみである。

投稿者 tsubaki : 08:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月30日

馴染みの町

家の回りを自転車でぶらぶらしていると、近所の方に声を掛けられるようになってきた。天沼に住むようになってから2年しか経っていないのだが、いつの間にか、近所の方々と声を掛け合うようになってきた。銭湯のおばちゃん(林泉湯)、中華屋のおっちゃん(味十一番)、ベルギービール屋のマスター(バルト)、焼き鳥屋の老夫婦(鳥久)、安くて旨い鉄火丼を作っているじいちゃん(川秀)、床屋のあんちゃん(オシャレサロンTANAKA)・・・、実は何方の名前も知らないのだが、出会えば、ふと顔がほころんで、挨拶したり、されたり、となんだか町に馴染んできたようで不思議な感じである。学生時代を振り返ると、近所の馴染みのお店なんてものができた例しがなく、もちろん声を掛けられるわけでもなく、それになんの不満もなく、寧ろその方が楽だったような気もする。けれども、何年、何十年も経ってから懐かしく感じるのは、物や場所だけというのは寂しいものである。人も含めて町にどれだけ馴染んでいけるかが今後の課題である。

投稿者 tsubaki : 02:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月16日

ネットオークションはだふ屋の温床

最初はそれほど行きたいとは思わなかったのだ。親友が久々に東京に来るというから、どこか変わったところに連れていきたいと思い、中村勘三郎の歌舞伎を見に行こうと決めた。決めたはいいが、チケットは既に完売である。なんとか手に入れたいとネットオークションを覗いてしまった。これに手を出してしまったのがいけなかった。
チケットはあるにはあるのだが、どれも怪しそうなものばかりである。恐る恐る入札してみると、静かだった値段がどんどん上がっていく。ここまで粘ったのだからと、勝負の意識が芽生えはじめ、当初の予算を遥かにオーバーしていても何故かおかまいなしである。結局元の2倍近い価格で落札してしまった。まったく阿呆である。
きっと出品者はだふ屋だったのだろう。さくらもいたのだろう。そんなことには薄々気付いていたのだが、どうしても欲しくなってしまった人には関係ない。
なんとか観ることができた歌舞伎の舞台。隣で眠っている親友を見ながら、もう2度とネットオークションには手を出さないと心に誓った。

投稿者 tsubaki : 23:54 | コメント (1) | トラックバック

 ま、そんなことも良い勉強でござんしょう。

投稿者 Zenta : 2005年06月17日 22:47

2005年06月04日

地方の住宅は1日にして成らず?

住宅を設計し建てるということはとても大変だ。細かいところまで把握して、デザインも含め全て決めなければならないと考えているから、余計に大変な目に会っているのかもしれない。工務店や施主から色々な意見や要望が出てきて、思考が縛られていく感覚に陥るときがある。そんなときは何が楽しくてこんなことをやっているのだろうと気が滅入ってしまう。
ハウスメーカーの家なんてホイホイと建ち上がって、ちょっと目を離していたら人が住んでいる。木造で早いものなら1週間で人が住めるような住宅も販売されているそうだ。そんな住宅にも陰乍ら苦労している人々がいるのであろうか。
私の地元富山ではハウスメーカーが大手を振るって住宅を次々と建てている。4ヶ月ぶりに帰省してみると、実家の廻りの田圃が何件もの住宅になっているから驚いた。これが規格化・量産化が辿り着いた勝利の姿なのであろうか。そういった状況に慣れてしまった地元の人々に対して果たして自分の設計は通用するのだろうか。地元では相当な啓蒙活動をしなければならなそうである。

投稿者 tsubaki : 20:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月14日

ススタケ

最近実家から山菜が送られてきた。唐突に今日届くはずだからと言われるや否や、蕨、薇、タラの芽、ススタケがやって来た。東京ではどれもほとんど食べる機会がなく、なんだか懐かしく感じてしまう。特にススタケとは久しくお目にかかっていなかったから、嬉しいことこの上ない。ススタケは、関東の方では取れないものなのかあまり知られていないようだが、10〜15センチくらいの細い筍で、私の田舎(富山)では結構有名な山菜だ。
早速、皮が付いたままの生のススタケを火の上で転がすこと約5分、竹の焼ける匂いが部屋中に充満し、涎がジワジワ染み出てくる。表面は焦げても中は大丈夫。熱いうちに剥いていくと綺麗な鶸色が湯気を上げながら現れる。ささっと塩を振掛けぽりぽりやると、熱燗をキュッとやりたくなるのが人情である。いつの間にやら、近くの酒屋で安酒を貰い、ちびちびやりながら真っ黒なそいつを割箸でコロコロ転がしてると、ふっと小さい頃の記憶が甦ってきた。幼稚園の頃だったかよく父親に連れられて山菜取りに行っていた。少し探してみると次々に見つかるもので、時間も忘れ宝探しの気分で山中を駆けずり回ったものである。
楽しかったな〜山菜取り。でも今は食べるだけでいいや、なんてなことを思いつつ、もう一口ぽりぽり。
普段ではなかなか味わえない田舎の贈物であった。

投稿者 tsubaki : 19:22 | コメント (1) | トラックバック

 ススタケってのは、色の名まえでしか耳にしたことがなかったんで、調べてみたら、チシマザサってのが正式名称みたいですな。
 何にしても、細い筍を炙ってほくほく喰うのは相当に美味そうだ。燗に剥いた皮を突っ込んだりすると、どうだろうか。それも、いいんじゃないかなあ……てな、ことを。

 ところで、鶸色って、私は全然思い浮かばない。そもそも鶸の類は川原鶸ぐらいしかみたことないしな。

投稿者 Zenta : 2005年05月14日 22:44

2005年04月30日

Next 10 years

早いもので、東京に来てから9年になる。私の人生の1/3を東京で過ごしたことになる。その間に多くの友人・知人ができ、経験を積むこともできた。そのおかげなのか、やりたいことは次から次へとたくさん浮かんでくる。それらを考えるだけでワクワクしてしまう。
それは初めて東京に来たときのあの何とも言えない高揚した感じに似ている。ずっと身体の中で眠っていたようだが、最近になって身体中に漲ってきた。春の陽気が手伝ったせいもあるだろうが、明確な目標が見えてきたからそんな風に思われるのだろう。
来年で東京に来て10年となる。次の10年はどんなことが待っているのか、冒険はまだまだこれからである。

昔の友人達に会うたびに、こういった念が強くなってくる。私は真に幸せ者である。

投稿者 tsubaki : 20:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月16日

平常心

冷静に物事を考えるということは、なんて難しいのだろう。余裕がなくなるとなおさらで、世の中腹の立つことだらけに見えてくる。それが、自分が招いた自業自得のことであってもである。お天道さまが、そう怒るなよ、周りはなかなか暖かいではないかと宥めてくるようだが、血が上った頭にはなかなか受け入れられない。そうかと言って怒ってばかりいてもどんどん悪循環になるから、違う側面で物事を捉えていくしかない。そうすると、良い面が見えてきて、悪い面も愛嬌に見えることがある。人間の心は不思議なものだ。
話は逸れるが恋は盲目ってのもある意味これに似ているのではないだろうか。
今日も平常心で居られますように。

投稿者 tsubaki : 09:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月02日

能の世界

初めて狂言と能の舞台を鑑賞した。野村萬の「文相撲」と岡田麗史の「熊野」である。独特な前屈みの立ち姿や身体の水平的な動き一つ一つに緊張感があり、私には刺激的な舞台だ。ただ、狂言は聞き取れるのだけれど、能の唄の内容がろくに分からない。それが残念で早速書籍を購入した。次に観るときには趣深く感じられることを期待しつつ、本を開こう。何だかワクワクする。

投稿者 tsubaki : 11:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月19日

9000円は何処に消えた

先日、結婚式の2次会に泣く泣く行ってきた。
というのも、会費が9000円なのだ。

親しい先輩が誘ってくれているので、
行かないわけにもいかないが、
それでも私にはその9000円が痛く、
いつの間にやら苦000円にみえてくる始末。
お金がないとはなんと惨めなものなのか。

いやいや、2次会でこんなに会費を取る方がおかしいのだ。
惨めにさせる方が悪い。
気を取り直して、久々に粧し込み、
どれ程のものか見てやろうじゃないかなどと勢い込んで向かっていった。

結果としては店は小綺麗だが、料理もお酒もいまいち。
不満に思いながらも新郎である先輩や友人達との談笑に花を咲かせていたところ、
綺麗な女性3人が恥ずかしそうに話しかけてくるではないか。
流石9000円。こんな出会いがあるではないか。

あの、お名前を教えて頂けないですか?
(え、えーと、高椿と申します。)
ありがとうございます。

もう少し話しが続くかと思いきや、
何もないので少々面食らっていたところ、
先輩が笑いながらその理由を教えてくれた。
どうも、会場の人の名前を書き込んで、
ビンゴゲームをしようとしているらしい。

最後に先輩から笑顔とありがとうの言葉をもらい、
いい気分で家路についていると、
あら不思議、お金のことなんて忘れてた。
でも、再度思い直して、やっぱり笑顔はタダで見たいものだ。

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2005年03月05日

地震対策

地震雲やら、犬が吠えたやら、
過剰に不安がっている話しを呆れて見ていたのだが、
いつの間にやら私も地震に不安を覚えるようになってきた。
理由はないわけではない。
単なる眩暈なのか、
アパートが悪くて揺れているのか、
本当の地震なのかよく分からないが、
最近目の前がよく揺れている。

一番の理由は、自分のできることを何もやってないからだろう。
とりあえず、水10リットル、食料2kg、ガスボンベ、懐中電灯を蓄えておいた。
とはいっても、実際に地震が起きてしまったら、こんなものは、
直になくなってしまう。
でも、何もしないよりはマシか。

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