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2007年07月31日
夏の準備
うちに網戸はなく、エアコンは好まないので、夏はずっと窓を全開にして蚊取りを焚いている。蛾が進入フリーなのがちょっといただけないが、たいしたことではない。電燈直下に飲食物を置かなければいいだけのことである。蚊取り線香さえあれば夏は快適、いい香り。生れてこの方線香一筋である。
それがこのあいだ、アクアネットとという水産・養殖雑誌のコラムでとんでもない素人に出くわした。その人は、二巻組み合わさった円盤のまま火を付け、「これじゃあ、蚊取り面香じゃないか」などと上手いことを言っている。いや、おれは感心してる場合ではない。幸い彼の人は誤りに気付いたようだが、これはルネサンス的大変革が必要だ。
冬の夜長は青年によって夏に準備されたいろいろな問題の研究に利用されねばならぬ。(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上巻230ページ・杉浦明平訳・岩波文庫)
これから冬にかけてじっくり考えてもらいたいものだ。で、この際なので、まさかメンコウする人はそうはいないでしょうけれど、初心者の方にひとこと。蚊取り線香の効き目は、供養力はさておき、殺傷力は値段に比例します。だいたいうちの近所で出回ってるのは、安い順に、C国製っぽいバッタもん(一巻10円)、アース(同15円)、キンチョー(同20円)。前二者はいまいち信用なりません。特にいちばん安いやつは、毒か否かは知らないけど、少なくともその煙に蚊を獲ってやろうという意志と気力を感じません。
投稿者 shachi : 20:26 | コメント (2) | トラックバック
二巻組み合わさった円盤のまま火を付ける人がいるのか。うん、わかるわかる。あれは、蚊が多い場合に2か所から点火できるものだと本当に思ってしまうよ。初めて見たら外れるとは思わないよ。うん、わかるわかる。
しかし、夏の夜に窓を開け放して、蚊取り線香だけかあ。それでは蚊を駆除しきれないでしょ? それに、カブトムシやゴキブリがどんどん入って来ないか? 地上最強の生物に違いないスズメバチなんかも入って来ないの? 私にはできない。うーん、尊敬する。
夏の夜長は夏に準備されたいろいろな問題の研究に利用されねばならぬ冬の夜長を無駄に過ごしてしまったかつて青年だった中年によって利用されるかもしれない。
(レオナルダ・ドビンチ)
投稿者 りんご : 2007年08月04日 00:03
ハチらしきのは昼間たまに来るけど…、スズメバチって、運送屋の軽トラの窓からしか入ってこないのかと思っていたが、こりゃあ気をつけなきゃな。
投稿者 shachi : 2007年08月04日 19:09
2007年07月25日
規格統一、なぜかその二
デジタル化が進むに連れ、ペイパーレスな社会になっていくことでありましょう、というような予言めいた物謂いが屡々為されていたことがあった。紙を使う度合いが減り、それは森林資源の保護にも繋がるのであって素晴らしいことですわよん、というような筋の話をする人もいた。
もっとも、ペイパーレス化がデジタル化の進行を前提にしているのであれば、電気依存が弥増すであろうことは必至であるからして、一概に阿呆面下げて喜べることでもない。どちらがより地球に優しいのか。というか、少しはましなのか。
それは専門家に任せるとして。
御存知のようにMacおたく……情熱減少気味だけれど……を自称する私なんざ、ペイパーレス大賛成、紙媒体など滅びるが宜し、などと思っているに違いない、と想像する人もいるかもしれんが、豈図らんや。寧ろ、しぶとく紙に執着して、時代に乗り遅れ気味の私がいる。
ひとつには萬年筆おたくでもあるということがありますな。手は二本。しかも、ペンを持って書ける手は一本しかないのに、必要以上にあれこれと購入し、インクだって使い切る前に傷んでしまうでしょうよ、というほどに大量に入手保存。半歩下がって我が身を眺むれば、エコを目指す御時世にそれって、まさにモッタイナイんじゃないの、と一言声を掛けたくなる。でも、やめられん。
んで、萬年筆を使うとなると、どうしても紙が必要になるのですな。モニターに書くわけにはいかないので、紙に書いてからコンピュータに打ち込んで……などという二度手間をやったりもして、軽く阿呆である。
あとは、新聞です。今時、新聞なんか取っている奴がいるのかよ、と驚く人さえおるかもしらんけれど。コンピュータつければダーターで読めることばっかりじゃないすか、と言われるかもしらんけれど。まあ、実際、概ねその通りでございますけれどね。やっぱり、紙で読みたいの。前からざらっと読んでいって、最後に番組欄に到着して、お、今日はギャル曽根は巨大オムレツに挑戦か、なんて。
それに、新聞以上に本、本全般(辞書も含む)。
純粋に調べるという行為だけに専念するのであれば、デジタル化されたそれの方がはるかに便利だということは歴然だし、実際、そうする場面も多々ありますよ。しかし、それでも、紙の本を読む、紙の辞書を引く、という行為は捨てられない。iPod全盛の昨今でもダウンロードなんて嫌々々やわ、自分はCDを購入せずにはおられんのです、というのと少し似ている。
ここまででの説明で、私が斯様に紙媒体にへばりつき気味だということは理解してもらえたと思うのだが、ここで私は驚いた。「規格統一」はどこへ行ってしまったのか。またかよ。またどこにも着地せぬまま終わってしまうのか。タイトルを決めて書き始めても毎度毎度それをすっかり忘れてだらだらずるずる迷走するって、これは痴呆化の始まりなのではないでしょうか。大丈夫なのかね。
投稿者 zenta : 19:21 | コメント (0) | トラックバック
2007年07月24日
器の主
恩人が末期癌と知り、話を直に聴きに行った。もう腹開けて手術するには手遅れでさ、去年の健診で癌の方も含めてしっかりやっとけば見つかってたはずなんだけどね、お前さ、健康診断大事よ、まじで、いやまじで。あと癌保険ね……。そんでさ、死んだら、ほんの少しぐらいいいでしょ、骨をむかし遊んだ湖に撒いてくれ……。
恩人は急変して亡くなり、慌てて用意したのは昨日までらっきょうが入っていた器。らっきょうが、お骨。意外だ。百円ショップで買ったとき、こんな予想はなかった。器の主定まらず、ゆく川の流れは絶えずして、らっきょうもお骨もよどみに浮かぶうたかたなんて、そんなふうには思えないよ。
それはともかく、風になってどっか飛んでるならいいけど、ここに居るなら、らっきょう臭くないか心配だ。とりあえず、晴れて飲めるようになったんだから、思う存分飲っていただこう。缶ビールを供え、蚊取り線香を焚き、合掌。 ん? 蚊取りは、おかしいのかな?
投稿者 shachi : 11:16 | コメント (2) | トラックバック
蚊取り線香の香りは、日本の夏を彩る風物詩ってなもの。それなりにビールのつまみになるに違いない。あの世にはなさそうだし、最後にたっぷり堪能してもらおうよ。
投稿者 zenta : 2007年07月27日 19:59
ですよね。蚊も安心して成仏してくれるでしょう。
投稿者 shachi : 2007年07月29日 17:30
2007年07月20日
海の男
ここんところどうもモデムの調子が悪いらしくて、パソコンを立ち上げてもウェブに繋げませんでした。せっかく立ち上げたのにそのまんま切ってしまうのもなんか寂しいので、パソコンの中に入ってる音楽ファイルを開きます。かける音楽は決まって加山雄三。夏といえば海、海といえば加山雄三。部屋に篭って仕事ばっかしてると、たまには海の男に憧れてしまいます。とか何とか言って、本当は聴いてるだけで、別に海に行きたいみたいなのはないですけど。
投稿者 quwabara : 01:11 | コメント (1) | トラックバック
なになに?加山雄三?
嬉しいねえ、お若えの、寿司食いねえ。
実はこないだ、加山さんが春日部に来たんだけどさ...
え?「もういい、わかった」って?
そうですか...。
うちのパソコンも、ここ一週間以上まるでお手上げだったんだけど、さっき、これ読んで症状が一緒だから「そうか、モデムかあ!」ってんで女房の意見具申に従って、モデムのケーブルを一通り全部「引っこ抜いちゃ戻し」してみたら...直っちゃったねえ。どうなってんだろうねえ。
彼女によると、勤めてる店のPCがイカれた時、本社に電話したら係りの人が教えてくれたんだって。
ITだのハイテクだのったって原始的なもんだ。
ヨソ様の大事なPCだからあんまり勧められないけど、ご参考までに。
投稿者 guffaw : 2007年07月24日 03:32
2007年07月18日
規格統一
私(たち)の知覚は、相当に非力である。
我が長屋の周辺には、少なくとも七匹の黒猫がおり、黒首輪、赤首輪、病弱のでぶちん、この三種は毎度同定できる。しかしながら、残りのものたちに関しては、顔付きや体格の、あるいは、尻尾の太さ長さの違いなど、ごくごく僅かしか差が存在せぬように見え、こいつは昨日の黒猫と同じだろうか、違うかな、ううむ、などと、悩むこと必定。しかも、黒首輪くん、最近、ちょっとでかくなったのか、おやまあ、などということもあるのは当たり前。何しろ、先様は生き物であるがゆえに。しょっちゅう混乱。
そこへいくと、猫同士というのはしっかりしたもので、私の目には全く同じに見える黒猫であってもきちんと区別ができている。おっ、君の友だちの黒猫くんが来ておるよ、なんて、我が家のちび公に声をかけてみたら、御当人は尻尾を膨らませて威嚇作業に集中していたり。いつもの暴れ者の黒助が来やがったな、などと睨みを効かせたつもりだったのだけれど、猫違いも甚だしく、ぼく、こちら方面は初めてなものでよろしく、的な愛想の良さで近くまでやってきて、私から程近いところを暫しうろうろしてから静かに立ち去っていったり。左から小振りの黒猫がやってきて、ああ、夜半にちび公と遊んでいる彼だな、なんて思っていたら、同じ大きさの同じような黒猫が右からもやってきて、あれ、こっちかな、と思う間もなく、両名は猛烈な取っ組み合いを始め、黒い団子のようになって広場を転げ回って……両方違うのかもしれん。まあ、要するに、私の黒猫識別能力は相当に酷いってこと。二匹を並べてじっと眺める機会があればその差異をきちんと把握することもできるのでしょうけれど。
黒猫に限らず、凡そこの世にあるものは、仔細に眺むれば、どんなに似ていようとも二つとして同じものはない。この黒猫とあの黒猫、エビちゃんと妹嬢、ななとりり。似ているけれど、やはり相異なる。それがいい。
製品と呼ばれるようなものに関してだと、まるで同じ(ような)ものを作り続けなければ、クォリティ・コントロールがなっとらんよ、などと批判されたりする場面もなくはないのだろうが、いいじゃん、ちょっとぐらい違ったって。小洒落た蒔絵の猪口を二つ並べて、微細な差異を楽しむ。手作りならではの味わいと受け止める。
違いというか間違い。
例えば、ぺんてるの2Bの鉛筆を買ってきたつもりなのに、封を開けてみたらBが入っていた。寝惚けた店員さんですなあ。が、OK、OK。ノー・プロ、ノー・プロ。例えば、カランダッシュのHBが入っていた。大丈夫だぜ、ベイビー。次からは間違えないでくれよな。ほな、ファーバーカステルの油性色鉛筆のペインズグレーが入っていたら、どうだろう。ま、ま、良いんじゃないの、ぎりぎりセーフってことで。じゃあ、それが赤だったらどうなのか。黄色だったらどうなのか。ううむ。色鉛筆じゃなくてピンクのラインマーカーが入っていたらどうなのか。赤いダッジチャージャー(1969デイトナ)が入っていたら……って、あんた、そりゃいくら何でも違い過ぎますがな。そんなもん間違えるものはおらん。
何が何だかわからなくなってきたが、違いがあるって良いことじゃん。間違いがあるってのも、程度問題ではあるけれど、悪くない。
念の為に申し上げると、権利や義務の平等というようなことに異を唱えるつもりはない。そういうことは寧ろ等しくあるべきだと思う。いや、ほんと。
そういういことではなく、個々のモノ(生き死にを問わず)はそれぞれに違っていて当たり前だし、その方が良いではないか、ってなこと。
あれ。「規格統一」ってタイトルで何を書くつもりだったんだろう。論旨滅茶苦茶なまま着地することなく終わってしまいますが。
ちょっと鉛筆を買いに行った筈なのに、まちがえて深紅のダッジチャージャー買ってきちゃったよブオーッて、万々が一、そんな奴がいたら、どこまで阿呆なのか、と思う反面、恰好いいバカっているよな、なんて……そんなことはない。
投稿者 zenta : 06:14 | コメント (1) | トラックバック
あんたバカァ? 家の鯖猫3兄弟の区別も解らないわけぇ?
解らないよ。だってflintは何も云ってくれないじゃないかっ!
投稿者 flint : 2007年07月22日 14:13
2007年07月17日
最新P国情報
日本の南西P国通のMさんによると、近頃は女の娘たちの日本入国は格段に厳しいそうで、S市内の店舗数もひところの30軒ほどから10分の1の3軒になってしまったという。おかげでかつてふつうに見られたアルバイト感覚でやって来るエリート女子大生たちの姿はすっかり影をひそめたとのこと。でもね、最近の選挙でバターンの市長になった娘がいるのさ、とMさんはいう。バターンとは戦時中日本軍に強制的に移動させられ多くの米兵が犠牲になったあの「バターン死の行進」のバターンなのだという。バターンのバターン市長なのか、バターン地方のなんとか市長なのかは判らないが、まちがいない、だってそういってたもん、とMさんはいう。
そこで私なりに調べてみた。バターンは州(Province)で、ひとつの市(City)と11の町(Municipality)から成る。確かに今年いずれの市町でも選挙が行われていた。唯一の市はバターンではなくバランガ、市長はホセ・エンリケ・ガルシア三世。男性。しかし残る11の町に3名の女性町長を発見した。
Abucay のアナ(Ana Dominguez Santiago)
Morong のシンシア(Cynthia Linao Estanislao)
Bagac のラミル(Ramil del Rosario)
シンシア、そうだよ、シンシア、そうMさんはいうのだが……。
投稿者 shachi : 23:09 | コメント (3) | トラックバック
P国通のMくんが言うのなら、まちがいないよ。シンシアだよ、シンシア。
投稿者 zenta : 2007年07月22日 06:20
やはり、シンシアか・・・
ああ、間違いないシンシアだ
投稿者 flint : 2007年07月22日 14:06
シンシアデース。シャチサンモ、シッテマスヨ。ニッポンダイスキデース。
もしかして、インターナショナルパブ・ロハースで? ホイットニー・ヒューストンおれとデュエットした?
投稿者 シンシア : 2007年07月27日 11:16
2007年07月13日
連休
夏に入って土曜出勤も増えてきた最中、久々の3連休なのですが、どうにもこうにも台風が近づいているようで。方向的に日曜日は直撃する可能性もありますし、これは間違いなく家で過ごす事になりそうです。ちょっとした雨ならいいけど、台風じゃあなぁ。梅雨でじめじめするし何をしようかしら。
投稿者 quwabara : 20:14 | コメント (0) | トラックバック
2007年07月11日
地主様かく語りき
先日、友人のバンドのサポートでちょろっとピアノのようなものを弾いてきた。その現場でも、よっ、地主様、などと声をかけられる。山梨から遠路はるばるやってきた知人に、大地主様ぁ、などと呼ばれる。ゴミ捨ての際には、相も変わらず、おはよう、地主の旦那、などという挨拶を頂戴する。これらのことに何か問題があるだろうか。いや、ない。問題などない。
そうなのだが、私は見抜いております。何をかというと、人々の目が猜疑心に満ち満ちているということをね。地主、地主って、あんた、本当に土地買うたんかい、と、そういう目ですな。疑うような、嘲笑うような。
人気商売をしているわけではないので、他人様にどう思われようと、そんなことはかまわない(程度問題ではあるけれど)。私は私。これが、私は誰、などとなったら大変だ……って、そんな話ではない。
仮に、私が私ではなく、読者であったなら、酔っ払ってクリックして土地買っちゃったよ、うがぁ、なんて話を読んだら、どう思うだろうか。あのおっさん、また嘘ついてはるで、などと敬語系の大阪弁で思うのは、ある意味、当然のことである。
しかしながら、無闇に疑われた私は、人間というのは疑ってばかりの悲しい生き物だね、ははは、などと嘯いて、このまま旅に出てしまおうか、と思わなくもない。いやいや、私は旅は嫌いだ。それに、デカルトという、私よりも365歳も年上の先輩が、何でも彼んでも疑うが宜し、などと宣っていたのを思い出したまえよ。先輩の言うことは多少理不尽でも聞かねばならんのが、サッカー部の辛いところ。何でも彼んでも疑えばええやん。嗚呼、一体、私は何の話をしているのだろう。
兎にも角にも、疑いたき者は疑いたまえ。但し、そこいらの国会議員などと違って、私は疑われるようなことは本当にしておりませぬぞ。
投稿者 zenta : 01:23 | コメント (3) | トラックバック
「超人とは現世の一切に対してよしという勇気を持ったものである」
ってフミオもニーチェを引用しとります。ただ、それが誰の訳なんだかわからないんで図書館に行きます、私。
投稿者 shachi : 2007年07月13日 01:24
この人を見よでニーチェにすっごい共感してしまった葉月です。
共感したなんてら言ったらおこがましいですけど。
投稿者 葉月 : 2007年07月13日 14:49
ああ、いいですねえ、共感。ニーチェはまだまだ生きてるんですな。
というわけで、お詫びと訂正です。中野区立中央図書館行きましていろいろ当たっていたところ、上記「超人とは現世の一切に対してよしという勇気を持ったものである」はニーチェ本人のではなく、研究者阿部次郎によることが判明、たいへん失礼いたしやした。
投稿者 shachi : 2007年07月14日 01:43
2007年07月06日
感覚
入社してみるとほぼ建築関係のようで、物件の見積もりなんかをしたりしています。普通に教えてもらった通りに仕上げていくと、何千万だったり何億だったり、僕からすると膨大な額になるわけで、たっけぇな~なんて思いつつこれでどうですかと先輩社員に見せに行くと、それじゃぁ安いななんて返されます。なんだろうこの感覚。見積もり内容もよく理解できないし、仕事ってむつかしい。
投稿者 quwabara : 19:44 | コメント (3) | トラックバック
良いんだか悪いんだかわからんけれども、兎にも角にも、会社というシステムの中の歯車の一つとして機能している(させられている?)のか。
半年前までへらへら一緒にバンドやったり呑んだりしていたことを思うと、何だかすごいよなあ。
投稿者 zenta : 2007年07月09日 00:28
未だにへらへらやりたい自分はまだまだ青いです。
投稿者 quwabara : 2007年07月09日 19:46
へらへらなんざ、いつでもできるんだから、暫くは会社というシステムにつきあってあげたまえよ……と、会社勤めをしたことのない私は思っています。
投稿者 zenta : 2007年07月12日 01:26
2007年07月04日
本年の園芸の系
園芸的なことを始めて何年になるのだろうか……って、悩むほど長くやっているわけではないので、指折り数えてみたって片手で足りる。あれっ、足りないかな。いや、足りる。
今年は花の類は一切なく、世に言う菜園ってやつですか。と言っても、所詮は、一坪、つまりは二畳ほどの狭さゆえ、たいそうなことができるわけではない。3茄子、2唐辛子、2トマト、2明日葉、2バジル、3青紫蘇、2パセリ。こんなラインナップ。これで目一杯。
知人のシンガー・ソング・ファーマー(何だそりゃ?)の女性から、簡単なのでおすすめですよ、とアドヴァイスを頂いただけのことはあり、早くも五月の末に収穫が始まった茄子。ぽっこりぽっこりとでかくなるので、ちょこちょこ刈り取っては食しております。八百屋のものより水気が多くしっとりとしているような印象。
マンションのヴェランダでも光さえ当たっていれば嫌ってほどなりますよ、とマダム・ダーツ・クイーンから教えられた唐辛子。すごい勢いで実がなっております。ぎゅうぎゅう詰めの狭いスペースの中、天に向かってびゅんびゅんびゅんびゅん。で、でかくなったのを刻んで、サラダ的なものに振り掛けて恐る恐る喰ってみた。何たることか、全く辛くない。見掛け倒し。辛さの充実までには未だ日数が必要なのか。よく判らない。
パセリやバジルはイタリアン方向のものに、紫蘇は蕎麦や素麺、奴なんぞにってな具合で、良い感じで収穫して消費。明日葉はおひたしか天麩羅しかねえかなあ、と思っていたが、微塵切りにしてパスタと一緒に炒めるのもありでございます。
トマトもたくさん実っているが、まだまだ青い。待つが宜し。
全体にうまく回っているので、少々浮かれ気味の私は、もっと面積を増やせんものか、と画策。画策すれども、如何んせん、貧乏長屋住まい、これ以上のスペースなどあるはずがない。……ないと思う。……うん、ないない。……ないね。……あっ、そんなことないよ。だって、俺って地主様なんじゃん。うっかりしていたぜ。
まあ、問題はその遠さですなあ。嗚呼、未だ見ぬ千二百坪余りの土地。そんなにあったら、どんなもんでも植えられそうではないか。っていうか、小さな農家が経営できそうじゃん。するってえと、愈々、しゃち家と農家対決と相成るのだろうか。おお、いぇー。
投稿者 zenta : 14:51 | コメント (5) | トラックバック
唐辛子は風通しの良い所で乾燥させると辛くなりますよ。スーパーとかの香辛料スペースで売っている赤い輪切りの品種であれば。
実家のばーちゃんは、枝ごと切って葉っぱをむしり取り、ある程度の本数を軒先に吊るしています。
投稿者 flint : 2007年07月06日 00:56
にゃるほど。そんな業があるのか。研究してみないといかんですなあ。
投稿者 zenta : 2007年07月06日 09:42
むろん、受けて立ちますぜ。本市場新田の名にかけて。
投稿者 shachi : 2007年07月06日 10:47
そういえば前にハバネロがどうとか言ってましたよね。出来上がったの、もらえたりするんですかね?
投稿者 quwabara : 2007年07月06日 20:12
うちのは普通の唐辛子ざんす。
ハバネロは知り合いから大々的に作っているので、収穫時期には大量に送ってもらえます(多分)。なので、その折に、お裾分けというのは可。但し、取り扱いには注意が必要。
投稿者 zenta : 2007年07月06日 22:08
2007年07月03日
ノーフォークの思い出
曇り。ロンドンから北西に伸びる高速道路を猛烈に飛ばすフィアット・ウーノに私は乗っていた。下宿屋のおばさんがノーフォークのコテージに連れてってやるというのである。小さな車はウェンディの巨体のせいか、ちょっぴり運転席のほうに傾いている気がする。車窓に広大な飛行場が見える。どうやら基地らしい。
「あたしはこういうのは好かないね」
「どうして?」
「ナチのロンドン空襲はそりゃひどかったからね」
「オー、ソーリー」
「日本人だってひどい目に遭ってるでしょ。ヒロシマと…」
「ナガサキ」
「とにかくね、あたしは戦争がだいっきらい」
「でも、原爆落さなかったらもっとたくさんの人が死んでたって…」
「ノー!」
車体が揺れた。
「なんで日本人のあんたがそんなこと言うの! まちがってるよ! あたし戦争はだいっきらい!」
「いや、それはアメリカ人が言ってることで……」
とやっとのこと言って、その先自分も戦争には反対ですなど言おうにも、もう遅い。英語的に“Some Americans say”から言うべきだった。いや、仮に先に出典を明かしたところで、ウェンディのご機嫌はやはり損ねたにちがいない。けっきょく、誰が、何と言おうと、戦争はだいっきらい!なのだから。
あとのコテージに着くまでの道中、車内を気まずい沈黙が支配した。その夜、ウェンディから空襲で兄を亡くしたことを聞いた。二カ月後、その基地からイラクに向けて戦闘機が飛び立った。
投稿者 shachi : 16:46 | コメント (4) | トラックバック
悲しいの・・・心が痛いの・・・
戦争、紛争、テロ・・・
絶対に嫌っ!! 今すぐやめてっ!!
投稿者 flint : 2007年07月06日 00:38
ローリー・ムーアの『アメリカの鳥たち』の中の一篇に「日本に落とされた二つの原爆の話」や「道を聞こうと思っただけなのに間違って撃たれてしまった日本人留学生の話」にさらっと触れるところがあるんだけれど、それを読んだ時に感じた、何とも言えない、俺って日本人なんだなあ、と気づかずにはおられん、もやもやな気持ちを思い出した。
原書で読んでいないので、原文がどうなっているのかは不明だけど。
投稿者 zenta : 2007年07月06日 11:29
自分には選べないことを背負っているってのは、あとから考えて、思われたりします。といっしょに、選べたかもしれないのに…ってのもあるわけですが。
Lorrie Moore は全然知らない人だったけど、Birds of America はいろいろ見てみるとなんだか面白そうだな。買っちゃいそうです。
投稿者 shachi : 2007年07月08日 01:07
おもろいのとつまんないのと半々ぐらいかな。是非に、とまでは言いにくいぐらい。
投稿者 zenta : 2007年07月09日 00:25
2007年07月01日
不思議味
今朝の朝食を家に有る食材で拵えた。
材料:そうめん
ごま油
ゆかり
醤油
調理法:そうめんを普通に茹でてざるにあける。
ごま油でそうめんを炒めて、ゆかりと醤油で味付けをする。
皿に盛り、ゆかりを振り掛ける。
もっさりとした食感と、ごま油の香りと、微かな醤油の味・・・
家人も「半年に1度位なら食しても良い」と云う 非常に微妙な味。
不味くは無いのだが、ゆかりちゃんパワーが無ければ、あまり食べたくない味。
久し振りに料理で冒険をしたらこの様な惨澹たるあり様・・・ぬぅ
投稿者 flint : 15:53 | コメント (2) | トラックバック
やってみましたぜ。長ネギがあったんで一緒に炒めたんだけど、けっこううまかったぜ。ゆかりパワーあなどれず。
投稿者 shachi : 2007年07月08日 00:47
うちの素麺の最近の流行りは、冷やし中華っぽいタレです。 おふくろ所有のふる~い料理本見ながら作って、ちょいアレンジしたら、なかなか良い感じ。
投稿者 zenta : 2007年07月09日 00:32