« 2007年07月 | メイン | 2007年09月 »

2007年08月29日

困惑の道行き

 地主だというのに、私は未だに自分が所有するその土地を訪れたことがなかった。全く以て地主の風上に置けぬ有り様ではないか。寝起き早々発起した私は、取り敢えず、R1-Zに跨り、キック、キック。夏だというのに、一発ではかからない悲しさがあったけれども、兎にも角にも火が入り、発進。
 青梅街道をびゅうびゅう走って、四面道を右折、谷原で左折して、気がつくと関越に乗っている。目的地はどこなのか、判然とせぬまま、直走る。
 何となく鶴ケ島インターで下りてみたものの、田舎と言うほど田舎ではなく、かといって、勿論、都会である筈もない町並みを漠然と走るばかり。いくつかの川を越えたところで、信号など存在しない辺鄙な通りに辿り着いた。放置されたログハウス様の空き店。中途半端な空地。小さな図書館、町役場、高校。人気はない。忘れた頃に、軽車両と擦れ違うだけ。
 路傍に単車を停め、ふと目を上げると辺り一面に山並が広がっている。昔ならここで一服というところだが、煙草はやめてしまった。自動販売機が見当たらず、缶コーヒーを飲むことも能わず。ヘルメットを取ると髪の毛がぺたんこ。生温い風が頬を撫でる。こういう感じは実に久し振りだ。
 ところで、私はここに何しに来たのだったろうか。

 なおも闇雲に走るうち、気の利いた和カフェなるものを発見して、湯呑みで珈琲を頂戴する。寝惚けた記憶を解いてみると、そうだ、地主様たる私は、広大なる我が土地を一目見ようと家を出たのだったではないか。然るに、その場所を知らぬままに飛び出し、びゃーびゃー走って、立ち止まって、さて、私は何をしに来たのだったろうか、などと呟いている。阿呆である。

 無事で何より、と思う他はない。この珈琲を飲み終えたら、とっとと帰ろう。そして、少し眠ることにしよう。みなさん、睡眠不足は正常な思考を妨げますよ。
 ああ、夏が終わる。

投稿者 zenta : 11:32 | コメント (0) | トラックバック

百姓経過報告

うちの晩稲のひとめぼれにも穂が出ました。

ありがたいことに、低温にも害虫にも、今のところ縁が無いようで
すくすくと育ち、ちゃんと植え替えた順に穂が出て、花が咲いております。
今後は、日あたりが悪いとなかなか穂が垂れないとの事で、少々心配。

庭とも呼べぬ通路に並べたバケツ2杯と、プランター2つの、
小さな田んぼながら、心配の種は尽きないもので、まるで子育ての如しです。
 「穂が垂れてきたら、スズメよけにかかしを作ってやるからね。」
などと、独り言。

shachi氏のみならずzenta氏の農業話が聞けるとは思わなかった。
先輩方、稲刈りまで見守ってね。


投稿者 quilt : 00:15 | コメント (1) | トラックバック

すごい。楽しみです。

投稿者 shachi : 2007年09月01日 00:21

2007年08月28日

テツとヤマさん

 風呂上がりで明るいうちから飲みますかということになり、5時ごろ風呂屋に行った。銭湯歴25年の私にもほぼ未知の時間帯である。するとそこは会話がパチンコと競馬だけに特化されたギャンブラー天国だった。夜の部では去年の6月に禁煙になってからその筋の人はめっきり減ってしまい、孤高の老人パチンコさんも今はスーパーでたまに見かけるだけになって淋しいかぎりである。
 風呂上がり、板場では師匠筋のヤマさんがテツに講釈している。
「おれね、新聞も馬体も見ないの。おれのココに入ってるデータだけ。買う馬券は全部本筋よ。ここまで来んのに7年かかった」
「儲かんの?」
 テツは敬語を使わない。
「トータルで損しないよ」
「どんなふうに賭けんの?」
「三千円とか、二百円とか」
「やっぱ本筋に三千円…」
「いや、おれはね、ぜんぶ本筋なの」
「そいで儲かんの?」
「儲かるときゃ、かなりだね」
「やっぱ本筋が来たとき?」
 テツは本筋にこだわる。
「いや、おれ全部本筋なの」
「損したことないの?」
「昔はね」
「やっぱ本筋外したとき?」
「おれね、昔っから全部本筋なのよ」
 テツしばし沈黙。
「昔っから?」
「昔っから」

投稿者 shachi : 00:18 | コメント (2) | トラックバック

いいねぇ。
シナリオでこういうデュエットみたいな会話が書けると一人前とされたもんです。

投稿者 guffaw : 2007年09月05日 05:41

恐縮です。あの続きを聴きにまた早い時間に行ってみようと思っとります。延々とあのままな気もするけれど……。

投稿者 shachi : 2007年09月07日 01:14

2007年08月22日

ガーデン的なものの近頃

 今年の我が家の狭隘きわまりないガーデン的なものは、食べられるものばかりが占めているのは、以前書いた通り。

 青紫蘇とバジルは、ショウリョウバッタの類に齧られたりしているものの、ぼうぼうと育ち放題。

 パセリはキアゲハの幼虫に派手に食われて大幅に縮小してしまった。先月のこと。その後、徐々に勢いを取り戻しつつあるも、まだまだ小ぢんまりとした状態で、食すのは憚られる。がんばれ、パセ公。

 トマトは結構な数の実が生るのだけれど、低いところのものは赤くなり始めると烏の餌食となってしまう。彼らはなぜか高いところのトマトは突いたりしないなあ。ちょっと不思議じゃありませんか。

 茄子はかなり早い段階からたくさんの実をつけ、瑞々しい味で食卓を賑わせてくれた。その後暫くは花が咲くこともなく、休息に入った様子だった。
 誰が喰うのかしらんけれど、葉のあちこちが穴だらけ。もうこのまま終焉を迎えるのでありましょうか、と少し悲しく思っていたところ、先週辺りから、数多の花が咲き始め、早いものは既に小さな実となっている。二度目の豊作の予感。
 茄子の葉の裏に小さな蟻がたくさん集まっている姿を度々見かけるが、茄子の葉っぱってうまいんでしょうかね。

 唐辛子二株はどちらも極めて順調。というか、食べるのが追いつかない。辛いもん好きの私ではあるけれど、そんなに大量には喰えないものだ。
 最初の頃は、この唐辛子辛くないけどどうなってんだ、というような戯けたことを書いたりしたけれど、あれは待つ心が不足していただけでありました。いや、普通に辛いよ。時々辛過ぎるぐらい。
 一時期、種類不明の地味なカメムシがたくさん集まってきていることがあったけれど、実も葉も齧られている気配はない。茎から樹液のようなものを吸っているのかもしれない。

 明日葉は、明日には生えるから明日葉ってぐらいだからね、と調子に乗って刈り込み過ぎたのか、成育が悪くなりかけていたけれど、暑くなってからは完全復活。

 そんなこんなが、佐藤家ガーデン的なものの近況だ。もうちょっと広いと良いのにね、などと思わなくもない……って、おい、忘れかけていた大ガーデン用地があるではないか、地主様よ。一度は見に行かないと何も始まらないよなあ。

投稿者 zenta : 12:42 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月21日

青木ケ原の北、上九一色の東

 そんなわけでS湖まで散骨の旅。私は実家より車で最寄りの駅に向かい、列車でやって来るアライを待つ。運転はアライに任せ、ビートルズの ABBEY ROAD をかける。本人が通夜でB面をと指定の一枚。20分ほどで目指す湖に到着、そのまま湖水を左に北岸を場所を探して走る。すぐに西の端まで来てしまい、まあこのへんにしますかと車を止めた。キャンプ客やら釣客やらいるが、しかたない。適当な岩場まで歩き、そこをその地と見定めて、散骨開始。 沈んだ! 浮くものとばかり思っていたのに。するとなにやら小魚の群衆が寄ってくる。釣師アライ曰く「こりゃあれだね、何でも食べるブラックバスの子供だね」。もしかして、食っちまうのかい? そりゃまた儚いね。
 幸か不幸かバスの餌食ではなかったらしく、湖底に点々と白く映えるお骨に最後の黙祷をしてその場を離れた。車が走り出すと、程なくしてうまいことB面が始まる。申し合わせるでもなく湖を一周。アルバムが終らない。
 Sleep pretty darling, do not cry
子守唄の歌。プリティ・ダーリン。なんとなく棺桶に入った死人の顔はみんなプリティ・ダーリンな気がする不思議。車を止め、終りまで聴く。
 Boy, you're going to carry that weight
おいお前その荷物背負って行け、ってちょっと、いま下ろしたばっかりじゃん。勘弁してよー。
 And in the end, the love you take
 Is equal to the love you make
けっきょくあなたが持っていく愛はイコールあなたが作った愛、ってなんかもっともらしいけど、そうわかりやすいもんかね、けっこううさん臭いぞ、てな気がしているうちにアルバムは終了。器の主は、らっきょう、お骨、そして今は洗った後の湖水が少々。


 これを機に調べてみたら、違法とばかり思っていた散骨は、実際はそうではなかった。確かにずっとそう考えられていたようなのだが、それは以下の二つの法律から。

 墓地、埋葬等に関する法律 第4条
 「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない」
 刑法 第190条
 「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄 し、又は領得した者は、
  三年以下の懲役に処する」

 それが1991年にそれぞれの法を管轄する厚生省、法務省が、「節度をもって行なう限り」等のコメントを付けて違法ではないという見解を発表。以来業者も数々現われ、中には地元と揉めて自治体によっては禁止の条例があるところもあるんだそうで。今回私たちの行った町にはそういう条例はなく、アライなど思いきりぶん投げた。

投稿者 shachi : 23:54 | コメント (3) | トラックバック

S湖でぶん投げたものです。
キラキラしてきれいだった。
25.26日は高円寺阿波踊り。
どうやらNさん来ていたらしい。

投稿者 rai : 2007年08月31日 20:15

 近年、阿波踊り期間は高円寺に近寄らないことにしている私ですが、今年はどういうわけか、深夜に吸い込まれてしまった。もしかしたら、目に見えぬNちゃんに誘われていたのかもしらん。

投稿者 zenta : 2007年08月31日 23:41

私も今年、初めて見ました。

投稿者 shachi : 2007年09月01日 00:23

2007年08月15日

規格統一、なぜかその五

 片面無地のちらしを折り、切り、束ねる。相変わらずの朝である。
 実際問題、ちらしの裏を使用する場面はあまりない。今書いている文章の下書き。新曲の歌詞の下書き。T氏からの連絡待ち(Kさん経由)、などというようなメモの類。あとは、封筒を糊付けする時の下敷きにしてみたり。孰れにせよ、消費がまるで追いつかず、このちらしの束は増え続けているのであります。

 ちらしの標準的なものは、つるつるの紙。萬年筆のインクはのらなくもないけれど、乾きにくい。鉛筆の類には不適。たまに、藁半紙のものが入っていると、小中学生の頃を思い出したりして懐かしくなくもないけれど、萬年筆には向かない。それ以外にも、インクジェットプリンタで印刷したような再生紙があったり、黄色いちょっと厚手の紙があったり。
 サイズもこれまたまちまち。新中野の例のパチンコ屋の特大のものもあれば、B6の極薄藁半紙もある。A系でもB系でもない、変形ものも少なくはない。ちょっとだけ幅が広いやつがあるかと思えば、いやに細長いものが登場することも、時には正方形のものが入っていることさえある。
 なので、程好い大きさに切っていっても、束は一種類におさまらない。頻繁に登場するものに限っても大きさだけで三種には分類せねばならぬし、極端なものは極端なもので、またいくつかに。初期の頃は、紙の種類、つまり、つるつる、ざらざら、厚手、薄手、なんてことまで気にしてみたこともあった。「白紙は白紙、からすはからす、線香紙は線香紙、陳皮は陳皮……」という『紙屑屋』に登場する若旦那みたいな有り様。孰れにせよ、限りがないので完全な細分化は早々に断念。ふむ。

 何でも彼でも規格統一された世界なぞ味気ないのは想像に難くない。完璧なのは理念の世界だけで十分だ。現実世界では、辻褄の合わないどたばたとした多様性は大歓迎。ちょっとした手違いや失敗さえも受け止めよう。そんなつもりでいる私だが、ちらしに関しては、サイズ、用紙を統一しては如何がだろうか、と提案したい。
 小中学生が使うノートのサイズにできるようにB5かB4、巨大な広告を望むのであればB3やB2でよろしく。つるつるの紙は鉛筆ののりが悪いのでコピー機やプリンタ用の再生紙を使用すること。それを各家庭で折って切ってを繰り返し、近所の学校に納める。んで、計算や漢字の練習用に各自に配布、プリントを印刷するのに使ってもいい。授業中、やる気がしねえなあ、というような生徒は裏側の印刷部分を眺めて暇潰しをすることもあるだろうし、持ち帰ったプリントを保護者に渡した際にも裏を眺めてもらえるかもしれないわけで、折り込みのように一瞬にして通り過ぎるだけではない可能性を期待できる。そういう意味では、広告主にだってメリットがないわけではない。

 文化区杉並からそんな改革を始めてみてはどうかしら。

投稿者 zenta : 22:15 | コメント (2) | トラックバック

ぼくの父親も昔、そうやって几帳面にメモ用紙を作りながら「なぜ裏にまで印刷するか」と怒っていましたな。広告主にしてみれば「紙を無駄にしないため」なんでしょうが。

落語の紙屑屋といえば、あの紙屑は集めてどうしてたのかね?当時も漉きなおして再生させる技術があったのかな。

ちなみに中国歴代王朝きっての賢帝、清のヨウ正帝は手紙も反古紙の裏を使っていたそうです。

投稿者 guffaw : 2007年08月23日 19:29

 紙屑屋で集めているもの中では、からす以外は再生ではなく、単純に再利用だったんだと思います。

 ここんとこ、なぜか裏白のちらしが減っています。

投稿者 zenta : 2007年08月31日 14:04

2007年08月14日

ぎっくり

布団を畳もうとしてあっ!と思ったら動けない。ぎっくり腰なんて縁がないと思ってたのに痛ぇのなんの。
仕方ないから横になって本を読む。ここんとこ女房が凝っている横山秀夫を何冊か。このひと短編にいろいろ工夫を凝らしてなかなかよろしい。大ヒットの「半落ち」はちょっと半落ちだったけど。
中で一冊、「クライマーズ・ハイ」文春文庫(629+税)
NHKのドラマで見て随分リキ入ってるな、と思ったけど本編にはとても及ばん。
完成度が高くてね。日本の近作には珍しく泣かせに逃げてない。
たとえば「マルタの鷹」「羊たちの沈黙」「女王陛下のユリシーズ号」なんかの読後感?
舞台は群馬の地方新聞社。縦糸は例の日航123便。横糸は谷川岳一の倉沢衝立岩。

キーワードは親切にもちゃんと本文に書いてあったよ。
「邪心を御巣鷹山は許さない」

投稿者 guffaw : 15:41 | コメント (4) | トラックバック

ぎっくり腰は癖になるので気をつけて下さいね。くしゃみをしてぎっくりになる事も・・・
早く治ると良いですね。お見舞い申し上げます。

投稿者 flint : 2007年08月15日 13:33

お気遣いありがとう。

「ギックリ」はインドメタシンと冷シップとマッサージで、それほど大事には至りませんでしたが、この数日間の「熱中症との闘い」にはホトホト消耗しました。
なにしろ、2日で10人死んだ埼玉の、西日当たりだけが滅法良い我が家は「カンボジアのオンドル小屋」状態。よく生き残ったもんだとは思うけど、やがて来る筈の第二波第三波を考えると寒気がして涼しくなりましたとさ。

投稿者 guffaw : 2007年08月19日 02:11

 『クライマーズ・ハイ』読んでみました。よくできてますよね。なかなかおもろい。
 ただ、ちょっと詰め込みすぎな感がありますな。もう十分に満腹です、これ以上喰えませんよ、って気になる。食後に珈琲を楽しみたいのになあ、というような。

投稿者 zenta : 2007年08月31日 14:09

うんうん、なるほど。

体質的な短編作家が長編書いたとき、有りがちなんですよね。構成を短編並みにぎちぎちに絞っちゃう。
でも自伝の要素の入った、ここまでの集大成らしいから勘弁してあげて。

昨日今日読んだのは短編集で「深追い」ってのと「影踏み」ってやつ。いろいろ趣向凝らしてて感心するよ。
この人、いつか「87分署」シリーズみたいなの書いたら面白いんじゃないかな。

投稿者 guffaw : 2007年09月05日 06:07

2007年08月08日

規格統一、なぜかその四

 相も変わらず、片面印刷の折り込みをみつけては、折っては切り折っては切り、サイズを揃えて大型クリップで纏める。そんな作業を毎朝繰り返す私であります。先日書いたように、裏が白紙のものの大半はなぜかパチンコ店の広告。新聞の折り込みという性質上、当然のことながら、再々同じ店舗のものが入ってくる。新装開店とか、新機種導入とか、そんなことなのかね。こんなに宣伝費をばらまいても元が取れるなんて、儲かっているんだなあ、などと思う。余計なお世話ですが。
 珍しく、その大判の広告の表側を眺めてみた。そこには、さとう珠緒さん来店!、などとでかでかと書かれており、満面の(作り?)笑顔で彼女がこちらに目を流している。この女性はお店にやってきて一体何をするのだろう。例のぶりぶりな口調で場内アナウンスでもするのだろうか。それとも、単なる一人の客として……そんなわけねえな。謎だ。もしかしたら、私が知らんだけで、パチンコ業界では泣く子も黙る重要人物なのであるぞ、なんてことがあるのかな。

 それにしても、この不思議な店はどこにあるんじゃいな、と地図に目を落として仰天した。うおぇっ。そこに書かれていたのは、カラーズ(旧シーアス)があった場所ではないか。まじすか。本当かなあ。少なくとも、ちらしの下段に位置する略図を見る限り、間違いなさそうな。うはぁ、びっくり。
 そう言えば、近頃あの辺りを通ってないもんなあ。そりゃ、町並みも変わりましょうよ。雑草伸び放題の空地があったりして、ちょっと寂れた感じだったものね。あの一帯が勢いのある業種に買い取られたりしていても、おかしかないか。塾をたたんでから、かれこれ何年になるんだろう。などと、些か感傷の念の混じった思いの断片がもやもやと脳裡を渦巻く。

投稿者 zenta : 20:09 | コメント (3) | トラックバック

いやまじっすよ。わたし見たことあります。あの4階の東向きの窓、いま開けると30センチ向こうに壁なんですぜ。

投稿者 shachi : 2007年08月09日 11:44

入院中の母に双子の姪が、コーダクミの台の広告を利用してペン立てを造って病室に飾ってあります。一見、パチンコ店の広告には見えないみごとな出来です。
数年前にイノキの台が出た時、近所のパチンコ屋の店頭にイノキが来て、ビンタとかして盛り上がっていましたよ。

投稿者 flint : 2007年08月15日 13:27

 パチンコ屋のイベントでびんたですか。ある意味、すごいなあ。

投稿者 zenta : 2007年08月15日 20:32

2007年08月07日

石松

 毎日こう暑いと風呂屋に行く時間も早まろうというもの。そうすると、いつもとはまるで違うメンツ。中に一人、大魔神みたいな顔をした長髪で小太りのおじさんがいる。これを石松という。石松は必ず湯船からいちばん近い場所を選び、時間をかけ、念入りに身体を洗う。洗髪など、200ミリのシャンプーボトルをかれこれ5年はもたせている私とは違い、大量消費、アフロになっていつまでもゴシゴシやっている。
 それだけなら別に何でもないのだが、石松は、ガンをつけるのだ。湯舟に浸ってはぁ、今日も熱いぜべいべぇ、ふぅ、と正面を向くと、そこに石松。アフロのままじいーっとおれを睨む。なんだかわからんが、この手の人に関わるのはやめよう、と思って睨み返したりはしない。その後観察を続けてみたら、どうもだれかれ構わず睨みつけてるみたい。
 つい出来心で一度睨み返したらどうなるかと思い実行してみたことがある。二、三十秒ぐらいあっただろうか、石松は目を背けた。そして私の上がりしな、用意してあったケロリン洗面器一杯の冷水を私の足下めがけてざばーん。なんだ?これは。仕返しなのか? でも、ひんやり気持ちいい。よくわからないけど、サンキュー石松。
 それからはもうできるだけ目を合わせないようにしているが、私は認識されているようで、湯舟から上がるタイミングを見計らって、ざばーん攻撃の準備がなされている模様だ。そこで私は上がる振りをして、やっぱもうちょっと、と足を引っ込める。無人のタイルに空しくざばーん。石松の背中が震えている。おれはもっと大人にならなければならない。
 風呂屋で他人同士が言葉を交わすことはほとんど無いけれど、石松のほか、ぬりかべ兄弟、森進一、ダルピッシュ、おっぱい、腕立てじじい、パチンコさんなどなど、けっこうな知り合いでなのある。

投稿者 shachi : 11:40 | コメント (3) | トラックバック

ぬりかべ兄弟から順次頼む。

投稿者 guffaw : 2007年08月14日 15:40

石松遊び、やってみたいな、石松遊び♪

投稿者 flint : 2007年08月15日 13:14

 へい、順次これから巡回していきやす。

 それからflintさん、気をつけなさいましよ。あたしはもう、いつ石松が暴発するかと気が気じゃないですから。

投稿者 shachi : 2007年08月24日 00:05

2007年08月01日

規格統一、なぜかその三

 どんどん話が逸れるのは昔からのことで、驚くようなことではないけれど、最近は、ちっとも元に戻れず着地しないまま、書きっ放しで投げ出す私ですが、今日は大丈夫だろうか。……なんて、自分で心配してりゃ世話ねえな。

 近所の小学生がうちにやってきた際、ちょいと紙に漢字の練習や、あるいは、単なる落書きなどを致したいのであります、というような場面がある。当然、紙を提供することになります。私は萬年筆おたくを自称しているので、紙やノートの類は常時大量に用意してあります。そう言えば、そんなに在庫して商売でも始めるのかね、というほどに、紙やインクやホチキスの芯やクリップなんぞを溢れ返るほど常に手元に置いていましたね、うちの親父も。紙やインク好きって遺伝するのだろうか。
 まあ、そんなことはどうでも宜しい。
 小学生に紙を提供するにあたって、当初は、制限の一切ない無地のものが良かろうか、あるいは、横書き縦書き作図などのあらゆる用途に対応できるべく方眼ものが良いのかな、などと思案。しかし、そんなことよりも、子どもたちにとって大事なのは、紙を無駄にせぬことは森林保護に繋がり、結果、地球環境を守ることになるのであるぞよ、ということを伝えることではないか、と閃いた。
 で、早速、新聞の折り込み広告のチェックを始めたのであります。
 裏は真っ白ってなものが意外にある。主にパチンコ屋のもの。なぜか、特大で片面印刷のものが多い。まあ、それをせっせと折っては切り、折っては切り、すると、B5からA4程度の大きさの紙にして十枚近くが用意できた。次回からは、がきどもには、これらを使用させ、紙を大切にして君も地球を防衛するのだぞ、ということを伝えようと思う。

 で、翌日もやりました。翌々日もやりましたよ。いや、結局、毎日毎日、強迫観念に取り憑かれたように、白い広告をみつけては折って切ってを続けている私です。とてもじゃないが、消費しきれず、各部屋の紙の束は厚みを増すばかり。もう十分にストックされているんだから、取り敢えず、一休みすればいい。そうなのですよ。しかし、止められない。この辺りに私の性格の壊れ気味な感じを見出す人がいるかもしれんが、いや、あるいは、実際そうかもしれないのだが、こういうことをきちんきちんと続けるということは、なかなかどうして気持ちの良いことなのであります。もう後戻りはできない。これは神に与えられた天命ではないか……などとは思わんが、朝起きたら、まず、これをやらないと気が済まない。
 ほほぅ、今日は珍しくも杉並警察からの折り込みが片面印刷ですよ。あとは、パチンコ屋ものの特大が一枚、普通のが一枚。それに不動産屋の妙に黄色いのが一枚か、なんて。

 紙を大事にするということは素晴らしいことだし、それが巡り巡って世界平和に繋がっているのだと信じて疑わない私であるけれど、これをこのまま続けていくとどうなるのだろう。もしかして、これって、ワイドショーで取り上げられるゴミ屋敷のおっさんへの道なのではないか、と思い至る。あわわわ、あわわわ。大いにはっとして、紙を折る手が止まった。まじすか。儂もいずれはゴミ屋敷のおっさんか……。
 いや、だが、やはり、やめられない。今日も私は紙を折って切って、そして、きっと明日も折って切って折って切って……。

投稿者 zenta : 20:21 | コメント (0) | トラックバック