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2006年11月29日
辛みそぐらい?
普通の味噌250gぐらい、黒糖100gぐらい、水150ccぐらいを鍋に入れて溶かします。ハバネロ15個ぐらいの種とか取って、適当に細切りにして、これを鍋に入れて、掻き混ぜながら中火ぐらいで沸騰させて、10分ぐらいから20分ぐらい煮立てますっ。その後、放ったらかすぐらいして、人肌ぐらいに冷めたら、塩大匙一杯ぐらい入れてみたりして、また掻き混ぜるぐらいして。完全に冷めたら、酒小匙一杯ぐらい? それと酢小匙一杯ぐらいぐらいとか入れてみたりして、またよく掻き混ぜたりすると、特製ハバネロ辛みそとかできたりするわけ。ぐらい?
せっかくなので、小皿とかに盛ってみたりして、割り箸とかの先っぽにちょびっとつけて舐めてみたりすると、やっぱり、酒とか呑みたいしぃ、とか言って、日本酒をコップに一合ぐらい注いで、呑んでみたりして。ちょー辛いから、お酒とか言ってどんどん進んじゃったりして。お代わりしちゃう?とか呟きつつ、自分への御褒美とか言って、ますます呑んじゃうわけ。で、また辛みそとか舐めると、やっぱちょー辛いのでずんずん呑んじゃって、へろへろのくるんくるんになって、一升瓶抱えてぐびぐびとか始めちゃったりして、あまりの辛さに汗がだらだら落ちてくるから、ねじり鉢巻きとかしちゃって、これって新橋の酔っ払いおやじぐらい?って、もうわけわかんない。
投稿者 zenta : 21:03 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月28日
ヴェローナ—エピソード3
「この部屋はヴェローナの間と申しまして、シェークスピアの“ロミオとジュリエット”の物語の舞台となった街の名から採っております」
開宴の辞として司会者がそう晴れやかにコメントする。
(O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?)
(ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?)
確かに、片方の両親親族全員欠席という披露宴に立ち会ったこともある。誰もいないテーブルに料理だけが並ぶ気まずさ。でもきょうは、みんな晴れやかだよ。
「さあっ、いよいよメイン・キャンドルに点火でございますっ、よろしいですかっ、ではっ、せえーのっ、ワーンッ・ツーッ・ス………」
えっと、ロミオとジュリエットってハッピーエンドだったっけ? 四大悲劇って、リア王、オセーロー、マクベス……と、ロミジュリ? だったっけ?…………
「それでは、明るい未来に向って大きく羽ばたく二人に、盛大な拍手うぉっ!」
ハムレットじゃねっ?
(For never was a story of more woe
Than this of Juliet and her Romeo. —— Exeunt)
(このジュリエットと彼女のロミオほどの
悲しい物語などありえないのだから —— 退場)*woe 悲痛
しかしここはチバ、カシワのヴェローナ。きょう、シャケが遡上してきたんだぜ。ならば物語の最終行は、
(For never was a story of more roe
Than this of Juliet and her Romeo. —— Exeunt)
(このジュリエットと彼女のロミオほどの
魚卵物語などありえないのだから —— 退場)*roe 魚卵
つまり、魚が生まれるのだ。誕生を謳歌する。
投稿者 shachi : 04:49 | コメント (1) | トラックバック
人生をowe歌する・・なぁんちて。ーーExeunt!
投稿者 guffaw : 2006年11月29日 11:36
2006年11月27日
継続は。。
昔、半ば友達のつき合いで楽器を習った事がある。その楽器の先生が好きだと言っていた言葉。
「継続は力なり」
当時は、よくもこんな地味な言葉を選んだな、ぐらいに思っていたけど、最近ようやくその言葉の重みが分かるようになってきた気がする。何かを見つけた時に、どうしてもっと早くからやっておかなかったんだろう。と悔やんでも遅い。今更、それを一から勉強する余裕はないときている。
いやいや、問題はそんな所じゃないだろう。
少し冷静になって、今まで自分が勉強した事、やって来た事を考えてみればすぐ分かる。映画やら音楽やら、あれよこれよと手を出している。やりたい事が多いのはいいが、どれもいまいち。何処か、完全燃焼していない。自分はこれだ、と筋を通して一つ一つしっかりやれよと言いたくなる。
そして、そこまで考えた所で浮かんだ言葉は
「継続は力なり」
結局また元に戻ってしまった。。
うーん実はこれ、今でも余り好きではない。何となく響きがいまいちなのだ。
それにしたって、その大切さを一番実感する言葉ではある。
投稿者 kajiya : 01:10 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月24日
いよいよ
今年は10月くらいでも半袖で過ごせた時もあり、暖かいなぁなんて思っていたけども、流石に今ぐらいの時期になってくるとそうも言ってられない。町ではウィンター・ソングやらクリスマス・ソングが流れているし、まぁ確かにもう1ヶ月ちょっとで1年が終わってしまうもんなぁ。ビーチボーイズ聴いている季節ではなさそうです。そろそろコタツで暖まってみかんを食べてっていう冬定番のやつの出番ですかね。
投稿者 quwabara : 20:38 | コメント (2) | トラックバック
ビーチボーイズ・クリスマス・アルバム
キャピトル TOCP-65006
2006.11.15 新発売!
投稿者 guffaw : 2006年11月26日 05:57
Surfin USAを聴いていたところで。いやぁ、これはお恥ずかしい。
投稿者 quwabara : 2006年11月26日 12:43
2006年11月22日
虚実混淆
えーっ、あれって嘘なのかよ、と、そんなことを言われることがある。その代表が、以前ここに書いたアフロ云々、日サロ云々、なんてな話。嘘なのかよ、と問われた場合、私は何と返答すべきなのか。嘘を書いたつもりはないのだけれど、事実に反することを書いたのは確かなわけで、それを人は嘘と呼ぶのだよ、ということであれば、そりゃ、やはり、私は嘘を吐いてしまったのだということになるわけで、小さい頃から言い囃されてきたように、嘘吐きは泥棒の始まりなのであるからして、もう私も泥棒まであと一歩、いや、始まっているということであれば、既に、泥棒である。正義を旨とする私としては、泥棒であるのにのうのうと巷を闊歩するわけにはいかない。とっとと杉並警察に自首しなければならん、と思うのだけれど、果たして、その場合、罪状や如何に。短髪であるにもかかわらずアフロだなどと嘘を吐いてしまいました、よって、御縄を頂戴致したく、などと申し出たら、この忙しいのに警察舐めとんのか、こら、などと叱責されることになるのではないか。どうでしょう。何がどうでしょう、だ。机上の空論という言葉があるんだよ、君。紙の上でへらへら理屈を捏ね回していても埒が明かない。さっさと実際に自首してきて見給え、と、そう言われれば、それは全く御尤も。早速、今から杉並警察に自首してきます……って、書くと、また、一つ嘘が増えてしまう……。
投稿者 zenta : 20:35 | コメント (1) | トラックバック
う・そ・つ・き...
投稿者 Anonymous : 2006年11月27日 05:02
2006年11月21日
Life is RE.
最近“Re=再”ということを考えていて、懐かしのからす新聞第0号(名称未設定新聞)に、Mother Goose のこんなライムが紹介されていたことを思い出した。
Solomon Grundy,
Born on Monday,
Christened on Tuesday,
Married on Wednesday,
Took ill on Thursday,
Worse on Friday,
Died on Saturday,
Buried on Sunday,
This is the end
Of Solomon Grundy.
ソロモン・グランディー、
月曜に誕生、
火曜に洗礼、
水曜に結婚、
木曜に病気、
金曜に悪化、
土曜に臨終、
日曜に埋葬、
これにておしまい
ソロモン・グランディー。
ソロモンの人生のその途中、行間には何度もの“RE=再”があったはずだ。一歩進んで二歩下がる。救急車に乗るのはあれっきりにしたいが、イギリスにはまた行きたい。ああ人は飽かず繰り返しをしたりしたくなかったりできなかったりやっちゃってたり。これはつまり Life is RE. なのだ。
Solomon Grundy,
Reborn on Monday,
Religious on Tuesday,
Rewarded on Wednesday,
Remorseful on Thursday,
Reflected on Friday,
Returned on Saturday,
Rejoyced on Sunday,
This is the end
Of Solomon Grundy.
ソロモン・グランディー、
月曜日、生れ直して
火曜日は、信心深くて
水曜日、がっぽり儲けて
木曜日、良心痛めて
金曜日、反省しまして
土曜日に、あの世に帰って
日曜日、お祭り騒ぎになりまして
これにておしまい
ソロモン・グランディー。
からす新聞創刊から8年半。またそのぐらい経ったときに、ソロモン・グランディーの reincarnation「輪廻転生」ありやなしや。
投稿者 shachi : 03:51 | コメント (2) | トラックバック
『出生と交合、そして死。
つきつめれば、それだけのことだ。
出生と交合、そして死。
俺は生まれてきた。一度でもう十分・・・』
T・S・エリオット
なにもそこまで黒っぽくなるこたあないぜ、T・S・。
ひょっとしてフラれたろ、お前。
『死後の世界を信じる人々は完全に正常です。そういう人々だけが究極の幻滅を感じないですむ人間なのです。』
P・D・ジェームズ
うん、こっちの方がいいな。
『生活はすべて次の二つから成り立っている。
したいけれど できない。
できるけれど したくない。』
ゲーテ
これは、もっといいな。
『なに飲んでるんだい?』
『「もう一杯」っていう名のお酒よ』
-バーにて-
life is RE...NOT BAD.
投稿者 guffaw : 2006年11月23日 05:58
『なに飲んでるの?』
『「お願い、あと一杯だけ」っていうお酒よ』
-東長崎のスナックにてー
投稿者 Anonymous : 2006年11月27日 05:19
2006年11月20日
ポキ
バイクのブレーキレバーが半分、折れていた。
まぁ、乗れるからいいか。と思いつつもやはり気になる。
こいつにも色々苦労をかけてるし、年が明ける前には直してやらんとなぁ。
投稿者 kajiya : 00:01 | コメント (2) | トラックバック
折れてるレバーでも、普通にしている分にはどうってことないけど、非常時に握り損なったりすることはありがちなので、とっとと交換しておいた方がいいよ。ちょっと前にしでかしたばかりの君のばやいは、特に。
投稿者 zenta : 2006年11月21日 14:03
ごもっともです。。先程、バイク屋に行って注文してきました。ついでに、と言うことでちょっとバイクを掃除。各所にオイルを差したぐらいで随分と調子が良くなったような気がするから不思議です。危うく調子に乗りかけた所で、折れてるブレーキの事を想い出しました。
投稿者 kajiya : 2006年11月21日 15:31
2006年11月17日
ライブを終えまして
ライブが無事(?)に終わりました。最後のバンドを見た方は賛否両論でしょうが、自分達自身としてはそれなりに出来たと納得しております。もちろん演奏面のへたくそさは隠すことはできませんでしたが・・・。ガキがバカやってる、ぐらいに思っていただけたら幸いであります。伊東さんにも、ぶっつけ本番であれだけやってくれたことに感謝しておりますし。なんにせよ、またああいうバンドをやりたいものです。
投稿者 quwabara : 23:24 | コメント (2) | トラックバック
一家三人、大変たいへん楽しませて貰いましたよ、ありがとう。
投稿者 guffaw : 2006年11月19日 04:56
そういうお言葉すごくうれしいです。こちらこそありがとうございます。
投稿者 quwabara : 2006年11月19日 15:08
2006年11月15日
羞恥の基準
何ですか、人間というものは、興奮するとついついでかい声を出しちゃったりするものであります。中には、いやいやぼくはそんなこたないね、だの、あたくしはちがいますことよ、うふふ、などという人もいなくはないだろうけれど、私の場合、おれって何やってんだろうなあ、と、ふと思わざるをえぬほどに、大声を出している場面がある。
そう遠くないところでは、ワールドカップ。うぉー、だの、うぎゃぁー、だのという奇声をあげること屡々。おまえのねえちゃん何とかかんとか、とはさすがに言わなかったけれど、てめえ、ジダン、ふざけるな、というよりは、もうちょっと汚い言葉で怒鳴り散らすなどしたのでありました。考えてみれば、というか、考えてみなくても、ヨーロッパで行われていた大会、日本では深夜。決勝の、問題の場面なんぞは早朝であった筈であり、うちの近所を散歩、ウォーキングなどしていた人々には、朝から大声で雑言を放つ品のない者が近所に住んでおるのだな、ああ、嫌だ嫌だ、などと思われたに違いない。そう思われても致し方がないほどの騒ぎようではあるわけで、まさに致し方なし。でもまあ、ワールドカップで熱狂できないようじゃ人間お終いだ、ぐらいのことを嘯いて。なので、少なからず気恥ずかしい気がしなくもないのだけれど、許容範囲内……ということにさせて下さい。
近頃、女子バレーをやっておりますな。世界選手権。何を隠そう、私は女子バレーもなかなか好きなのであります。古くは、白井が全日本に入った頃合いから。近所の商店街で彼女と擦れ違い、その迫力に圧倒され、女子バレー侮れねえ、となったのですよ。近頃は弱くて応援しててもなかなか辛いところではあるけれど、弱ければ弱いほど応援が必要なわけで。
最初のうちは、まあ、木村沙織はどことなく小高笑子を彷彿とさせるところがあるね、などと、ちょっくらそっくり返りつつ、一応、冷静風味で眺めているのだけれど、競り合いになってきたりすると、よし、上がった、などと叫び始め、気がつくと、高橋、高橋があいてる、竹下、高橋だって、などと咆哮。終いには、ただただ、サオリン、サオリン、サオリン、よーしっ、などと絶叫。
試合終了後、我に返り、赤面。赤面。赤面ですよ。何気ない風を装いながら、窓を開けて、近所に人はおらぬか、と確認してみたりして。阿呆や。
サッカーの狂躁は許容できる私なのに、何故、女子バレーでのサオリン連呼には恥ずかしさを感じてしまうのだろう。人の心の彩というのは、まっこと謎に満ちておるものでありますなあ。
今宵はオランダ戦か。こりゃ、ますます大きな声援が必要だな。
投稿者 zenta : 19:07 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月14日
君の未来を知っている。
英語で“You will〜”が「有無を言わさぬ命令」を表すことがある。
You will take care of Kimura-gumi.
「キムラ組のことよろしく(仕事とか世話してやれよ)」
たとえば知事と出納長とか上下関係がはっきりしている間柄において、命令する側が相手の未来を拘束するって感じ。つまり「おまえはこんなことするでしょう。だっておれがさせるから」。ただの「命令文」
Take care of Kimura-gumi.
に比べて「未来の拘束」はより上意下達を感じさせる。
理不尽な命令など誰もがされたくないだろうけれど、最近はまたそういうのが目に付くようで。
カンナオトが女房から
You will be in Shikoku.
「お遍路さんに行ってらっしゃい」
って命令されたっては知ったことではないが、スガだいじんがNHKに
You will focus on the abduction issue.
「拉致問題に重点を置きなさい」
って命令するのは違和感がある。何の必要があるのか意味不明。
Boy, know better.
「おい、身の程を知れ」
って思った。大臣に身の程を知らしめるほどの権力は私にはないので、ふつうの命令文で。
さらに新しい教育基本法の「教育の目標」が導くのが、
You will love your country.
「自分の国を愛しなさい」
って命令。そういうのは自然なことで良いんじゃないかなあ。憲法にもそんなのを載せるんですか? あべちゃん、放っといてくんないかな。
You will leve me alone.
主権在民。命令する。
投稿者 shachi : 00:34 | コメント (3) | トラックバック
最近じゃleaveはleveになってるの?
皮肉じゃないぜ。近頃うちの辞書もお歳を召したようで、引いても載ってない単語が増えてきてるもんでね。
いつかface offって映画のタイトルの意味が解んなかった時は、こっちもだけど本人もかなりショックだったらしく、それ以来机の上にいるのを見ても沈みがちだな。お互い口には出さないけどね。
一体皆さんは辞書をどのくらいで取り替えてますか?
うちのは兄貴が50年近く前の中学入学時に買ったんだけど、お陰で彼は立教に入れたし僕もなんとか高校を出られた。それ以来ずっと手元を離れず、Bobからはmiracle dictionaryの称号を貰い、こうしてボロボロになるまで働いてくれたんだね。ありがとう・・(グス)
「ナントカと畳は・・」って言うけど辞書は取り替えるの抵抗あるな。でもleveも載ってないんじゃなあ・・。
しかし、これがshachi君のヨッパラっての単純ミスって可能性も捨てられんしな・・・。万一そうならshachi君、命令する。
You will correct it.
投稿者 guffaw : 2006年11月17日 07:50
私のばやい、辞書は買い替える、のではなく、買い足すって感じですね。
本文中のleveってのは、「あべちゃん」という人の舌足らずっぷりを表現したのでは……って、そんなわけはない。
投稿者 zenta : 2006年11月17日 10:36
えっと、leve は believe の古語でして、つまりはまあ、「俺を信用しろ」と、そんなことが言いたかったと、そう言えと、16世紀以来の復活だと、OED卿の命令でして……。
投稿者 shachi : 2006年11月17日 16:36
2006年11月13日
家族旅行
今日から、兄の結婚式で海外に行く事に。行った事のない所だし、兄貴の金で
行けるんだから万万歳。言うことはないはずなんだけれども、何処か不安。
もともと、家族と言う枠組みが凄く希薄なわが家。家族で何処かに行ったなん
て思い出には余り記憶がない。こんな年になってから、こういう事があるとは
思わなかった。そして、自分に与えられた任務は兄貴のお守り。
うーん。。。やっぱりそれが一番不安な要素だろうな。
投稿者 kajiya : 06:49 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月12日
90分の大作
90分のビデオを編集しましたが、レンダリングに9時間かかった、、、。
●一行派
投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月10日
現状
周りの大学生は卒論だ何だと慌しくしているであろう今日この頃、僕は相も変わらず週に何度かしか学校に行かず、行ってもたいしたことをしないで帰ってくる始末。そんな僕を怒るわけでもなくいる先生。怒らないからいっか、なんていっていまだにこんな日々を続けている。行っても別の研究室の人とは滅多に会わないし、周りの状況がわからない。絶対やばいんだろうなぁ。なんか卒業できるか不安になってまいりました。
投稿者 quwabara : 00:22 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月08日
BGM
BGM。つまり、積極的に聴くのではなく、流れているものを耳にする、というようなシチュエイションでの音楽とでもいいますか。
来月オープンするダーツ・バーのような、ダイニング・バーのようなお店でかけるCDのセレクションを任されているので、気合いを入れるのではなく、ぼちぼちと選ぶ作業を行っている。ま、ちょっと気分転換的ですかね。然りながら、あの店の音楽ってなかなか良いよね、などと言われるぐらいではあってほしい。メジャーなものばかりではうるさい客に舐められたりしかねないしなあ、と思うし、だからといって、マニアックに走るのは筋が違うだろ、などと逡巡。逡巡。いやいや、なかなかどうして、選曲の道も深いものだ。
ダーツってんだから、イギリス寄りだな……小洒落た風味ならスタカンなんてどうよ、ってなもん。しかし、今時、スタカンなんて呼ぶ人がまだいましたか、などと自嘲しつつ、やっぱちょっと古いかなあ……いや、しかし、古さの問題ではないでしょう、とスタカンは候補に入る。一人でふらっと入ってきて一杯やるなんてことなら、Olivia Himeの然りげなさなんざ良ござんしょう。そんな店なら俺様が呑みたいぐらいだぜ、なんて。しかし、あれだね、このぐらいしっとりしちゃうと酒が進まないか。それは営業的にいただけませんな。もうちょっとテンポのいいところで、がばがばグラスを干させるのが良かろう。それじゃあ、ってんで、Paris Comboを持ち出してくる。あ、良いな。良いね。これこれ。取り敢えず、今から一杯いくか……って、私は何をやっておりますのやら。
こんなことであれこれと頭を捻っている昨今、小洒落た音楽を……などと言いながら、猫に攻撃されまくり、手に足に生傷の絶えぬ日々。何なんでしょう、私って。
投稿者 zenta : 18:33 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月07日
立冬
私は電化製品を新品で買うということがあまりない。買う金が無いということもあるし、先端品への物欲も薄いので、いきおい部屋にはもらい物やら買ったにしたって中古品ばかり。新品で手に入れたのは、パソコンとCDラジカセぐらいのもの。あ、そうだ、絶対不要宣言出しときながらサリーちゃん来日歓待に合わせて躊躇なく買ったエアコンもあったか。ま、いずれにせよどれも10年以上前の物。物持ちは良いほうだ。
特に頑張ってるのは洗濯機だ。キシモトが転勤するからと言って置いていった二層式。13年前にもらった時点で5年は使ったって言ってたから、超ベテラン。長らく屋外に置きざらしなので判別しにくいが、製品名は「瀬戸〜」と読める。瀬戸内寂聴がどれだけ偉いか読んだことが無いので知らないが、きみには浄化勲章を授与する。天気もいいし、授与式を開始する。「があーーー」「がたっがたっ」「ぎゅるぎゅるぎゅる」。洗濯槽と脱水槽による変則ハーモニーは、喜びとか断末魔とか、私ごときの与える解釈を超えている気がする。さっきから聞えている廃家電回収車の「ごかていでー、ごふよーになりましたー……」が遠ざかる。
もうすぐ水の冷たい冬。全自動ってどんな気分なのかな。
投稿者 shachi : 15:57 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月06日
映画
映画を観て、泣いてしまう事ってあるだろうか。
例えば、映画館で見ている時なんか僕は、 じぃ〜ん ときても口をヘの字に結
んで、手の親指と人さし指の間のツボをグッと押したりして、頑張って、どうに
かして堪える。
もともと、映画や本でじぃ〜んと来やすい性格だけれど、
映画館で泣いてしまうのはやっぱり恥ずかしい。
それが先日、やってしまいました。ついに負けました。
しかも、それは映画館ではなくて、飛行機の中…。
だー! 映画館より恥ずかしいじゃん!
ダ・ヴィンチコードとかそんなものを、何本か観た後にふと見た、
オールウェイズ三丁目の夕日。。
負けちゃいかん、負けちゃいかん、と 頑張るものの見事に敗北。
こういうの弱いんだよ〜。ベタベタなだけになおさら。
しかし隣にいた、やたらガタイの良いフィンランド人のお姉ちゃんはどう思った
んだろうか?そうとう気味が悪かったに違いない。
それにしても、何だか昔よりも、そんな時に 涙もろくなったような気がするの
は気のせいだろうか?
それは、年をとったという事なのか。それとも、感情的になったのか。
何だかよく分からんけど、色々な要素があるのかもしれない。
投稿者 kajiya : 22:30 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月05日
最近
奥州の長で、最後まで天下を狙った伊達政宗にちょっとハマッてます。
●一行派
投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月03日
ライブ接近中
ライブが近づくにつれて、スタジオに入ることも増えてきた。自分で組んでる方のバンドはそうでもないのだけど、もうひとつのバンドの方は、正直俺大丈夫なのか、と心配になることがある。そんな時心の中で、これは修行だ、と思うようにしている。
自分はベースをやっていますが、普段弾く曲といえばジャカジャカと勢いだけの曲だったり、ルート弾きだけの曲だったり、まぁ簡単な曲ばかり。そんなベーシストとして下の下な僕を、今回もライブに出させてくれること自体がありがたいし、とても勉強になる。困難なことに立ち向かうことできっと成長できる、そう思うことで今はやれているのかもしれない。いや、やれてはないのか。あぁ、もすこし上手くなりてい。
投稿者 quwabara : 14:06 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月01日
学校というところでは
学校というところでは、昔から摩訶不思議なことが罷り通っていた。それは、私たちが子どもだった時にもそうであったし、その後、家庭教師や塾屋、高校の講師なんぞをしていたときにもそう感じていたし、きっと今でもそうなんだろうと思う。
学校で教えている人々も完璧なんぞではない。当たり前だ。管理する人々も完璧なんぞであるわけはないし、学校に関わる規則や法を云々する人々だって完璧なわけはない。それは昔からそうであったのだ。だって、所詮は、人間という、完璧からは程遠い不完全な存在がやっていることなんだからさ。
だが、しかし、それでも昔の方が少しはましだったぜ、と思う。そう感じている人は少なくないはずだ。何が違うのかと考えるに、一番の違いは心意気でしょうな。人間は完璧なんぞではありえないけれど、せめて、矜恃だけは高く持っていてくれよ、と。そういう意地さえもないのなら、教育に関わる仕事なんか選ばないでほしい。いや、ほんと。
昨今のニュースを目にし耳にし、うんざり。うんざりの百倍。うんざりの百倍の百倍。吐き気がする。
この社会が歪んでいるのは御承知の通り。そして、そういう歪みは弱者のところで弾けるのである。こんな在り来たりなことを呟かずにはいられない今日この頃。明日はどっちだ、とジョーの主題歌を口遊む。ああ。
投稿者 zenta : 16:59 | コメント (2) | トラックバック
『モッタイナイ』の次ぎは『ミットモナイ』が採用されそう。
投稿者 guffaw : 2006年11月03日 05:36
と思ったら、今日の新聞では、BONOが「ホットケナイ」を提案しているんだって。
BONOさあ、あんた夕張の事情なんか知らんだろ?
外面ばっかり美しい見栄っ張りの国なんだから、あんまり煽んないでおくれな。この冬、北朝鮮ばりにアブナいんだぜ。
アベちゃんがその気になったらどうしてくれるんだ。
投稿者 guffaw : 2006年12月01日 17:54