2005年12月08日

感無量

おそれおおくも、トップに載せていただいた。
ほかに入れるところがなかったからたまたまというのは勿論わかってはいるが、ここにきて3年、感無量です。

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2005年12月01日

松田優作

松田優作がどんな人かも良く知らないけれど、
妻の松田美由紀はたまに劇団系のでちらほら見るくらいしか知らないけれど、
息子の龍平と翔太は、正直自分の好みだ。
黒髪と切れ長の澄んだ目が、いかにも確信的に性格が悪そうであり、
そうでありながら、ロクな演技をしなかったとしてもそれが何故か許せてしまう。
そして、残念なことに、彼らはずいぶんと年下だったりする。

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2005年11月24日

寿司

日常の食事は、コンビニのおにぎりなどで済ませている。
自炊もここ半年ほどしていない。
また、うちの家系はグルタミン酸ナトリウムにアレルギーがあるようで、摂取すると力が抜けてしまうのだが、はっきり言ってコンビニの御飯などグルタミン酸ナトリウムだらけなのだ。いかん。ほんとうに、よろしくない。
そんな食生活で、精神が正常に保たれるわけもなく、現場ではよく怒り散らしてしまうことも屡々、なのだ。
監督にもついに「責めないでください」と言われ、いかに酷かったかが多少なりとも想像がつく。

しかし、久々に美味いもんを食べた。
それは、寿司。勘六のお寿司。
そりゃもう幸せである。
納豆まきからトロまで、どれも間違いなく美味しい。

ゆっくり美味しいものを食べるということがどれだけ幸せなのか、身にしみて思った。
寿司は幸せにする。ありがとう、寿司。ご馳走さまでした。

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2005年10月27日

携帯が壊れた

ずいぶん空けてしまった。
とんでもなく、申し訳ないです。

そして罰が当たったのか、携帯が壊れた。
ジョグダイアルが動かないだけなんだけど、それが、致命的。
友人が何年も使ってるシティPHONEのほうがよっぽど丈夫なのはなぜ?

自分はauとはいえど、デザインプロジェクトの携帯だけは手をださねぇぞ!と思ってた。
デザインによってシステムが変わらないなんて!という変な意地である。
しかし、最近のauはどれもこれも持つのも厭なほどどうにかなってしまっている。
iPod持ってるから、音楽聞ける機能なんていらないし!
おかげで無駄にデカいし!
あと、折たたみもヒンジがうんざりなのだ。
タルビーに白があれば、なぁ。
明日店に行って考えよう。

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2005年09月15日

いけないのはわかっているが

不機嫌に現場から戻ってきて、15分くらい経った後だろうか、事務所の電話が鳴った。出ると、現場の監督だった。その瞬間、いかにわたしが先の打合せで気分を害したか、くどくど言ってやりたい思いにかられた。そして、勝ちをつかむがごとく向い立って口を開いた。しかし、「あの」と言いかけたその時、それに覆いかぶさるように、今度は考えもしなかった言葉が向こうから発せられたのだ。「家にウィンドウズはありますか?」。わたしとしては後先読めず「はぁ?」、である。次の発言で自分がころりと機嫌を直されてしまうことも知らずに。監督がわたしの機嫌の善し悪しを察していたのかどうかは知らない。彼は、淡々と、まるで勝ちは自分の手のうちにあるかのように、こう切り出した。「チャーリーと〜っての、焼いてきたんですけど」。この言葉を聞いた瞬間、敗北感を感じつつも手のひらを返したように驚いてお礼を言っている自分がいた。

汚いな、わたし。いろんな意味で。結局ウィンドウズじゃなくてMacでも見れちゃったしな。

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2005年09月01日

ロックとは

最近、現場監督がロックを聴くと知った。しかし聞いてみればなるほど、やはり大衆派の現場監督だけあってクイーンにエアロスミスなど。いや、べつに彼の聞く音楽を否定するわけではない。寧ろ、直球で頼もしい。
ただ、わたしにはそういったとき、違和感が残る。わたしはどうしてか、ロックというジャンルを、パンクやガレージよりで想像してしまうのだ。ビストルズやキンクス、最近では(?)ニルヴァナとか。ギリで、オアシス。
クイーンがどうかは置いといて、少なくとも、エアロスミスやボンジョビなどは、ロックと結びつかないのだ。これは、どういうことなんだろうか。誰に教育されてきたんだろうか。みなさんは彼らがロックだと思われますか?

投稿者 to : 09:21 | コメント (7) | トラックバック

 Aerosmithは『Rocks』という名盤を発表している。Queenには「We will Rock you」という大ヒット曲がありますな。まあ、それは扨置き、私の感覚では、Aerosmithは、ロックという括りの、堂々たる本線、本家本元の一つって感じですね。

投稿者 Zenta : 2005年09月03日 14:04

自分の捻くれた偏りに反省している次第でございます。
これだからわたしは「単館系」という枠からいまだに脱出できないのだな、と。
全太さんのように広い耳で受け入れられたらとは思うのですが・・・。

投稿者 to : 2005年09月03日 17:17

 言葉の持つイメージなんざ、人それぞれだから、反省するってなことでもないと思うんだけど。

 エアロがロックか?、と考えるのではなく、逆に、ロックという言葉から連想されるバンドって何だろうなあ、と、みんなの意見を聞いてみたいような気がしますな。私だったら、Zeppelinかなあ。だなあ。

投稿者 Zenta : 2005年09月04日 18:38

最初に連想するのは、初期ストーンズです。あとは、フーとかキンクスとかラモーンズとか、って古いですね。
90年代ではプライマルスクリームなどを想像します。みなさんどうですか?

投稿者 to : 2005年09月07日 23:34

個人的にはモーターヘッドやラモーンズ、サバスなんかが思いつきます。最近だとホワイトストライプスや22-20sなんかも。失礼しました。

投稿者 quwabara : 2005年09月08日 06:53

おぉ。少し同感できます。

ちなみに日本でと言うと、やはり、よく聴いていたミッシェルガンエレファントが一番最初にあがります。あとは、ユニコーンとかブルハーツかな。

投稿者 to : 2005年09月11日 22:25

 埋もれてきたので、BBSの方に移動しましたよ。

投稿者 Zenta : 2005年09月13日 00:47

2005年08月18日

あきのてまねき

御盆が終わった。
といか、墓参りもしなければ線香のにおいすら嗅いでいないので、この数日間が本当に御盆だったのか微妙である。
とはいえ、現場的にはハーフタイム終了といったところ。
あー、後半。がんばろう。

夏はもう終わりなのだろうか。秋刀魚を食べた。

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2005年08月04日

蝉の鎮魂曲

あたった。
というか、この話は止そう。

先日、事務所の玄関の脇にあった2本の樹が突然、切られた。気がついた時はすでに、枝がすべて伐採されて幹だけが残っている状態だった。わたしの知らぬ間に切られたことになぜか腹立たしく、さらに、そのすがたに、あまりにも酷い行為に、泣けてきた。その夜、図面描いてたらやけに五月蝿く庭からミーンミーンと聞こえてきた。そろそろ帰ろうと仕度をして事務所のドアを開けたら、ドアに留まってた蝉がびっくりしたように逃げていって。わたしも驚いたのだが。その瞬間、ものすごい鳴き声が耳に入ってきた。どれくらいの数の蝉がいたらこんな大きさになるのだろうか。もう、大合唱である。ははは。泣けてきたのはわたしだけじゃなかったんだ。そこから駅までの道のり、表通りにでるまで、蝉の鳴き声が途絶えなかった。そんな阿佐ケ谷は、本当に魅惑的な街だと思う。

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2005年07月21日

幼い記憶といまの記憶

先日、私が6歳まで住んでいた倉庫兼住宅の建物を改装するとかで、久々に帰省した。
6歳までの記憶などもう破片でしか残っていないのだけど、その建物に入るやいなや記憶や感情が蘇ってくることに驚く。そして、以前ではわからなかったことが見えてきて妙に感動してしまった。
まず、柱や梁はすべてH構ではなくフラットバーとアングルをボルト締めして構成されてることや、スチールサッシのかわいらしさ。それから建物の構成も、天井高を押さえた1階と所々に中2階と2階、吹き抜け、天井高が6Mくらいある3階、いろんなところに階段があり、なかなか楽しい。そして、屋上には祖父が鉄工所に造らせた遊具。長い年月を経てすっかり錆びてしまったが、そこに祖父の愛情を感じるのだ。
建築として良いのかと問われれば、普通の建物である。しかし、目を閉じて浮かぶのは、幼ながらにその建物を好きだったという記憶。倉庫用エレベーターで遊んだり、かくれんぼをしたり、屋上で駆け巡ったり、玩具のスポーツカーを一生懸命こいだり。それを笑って見守る祖父がいる。

建物は、一般的に物を造るのとちょっと違う。建物は、人の前に建つのではなくて、人を覆って建ってしまう。
ましてや誰かの家を造るというのは、その人にとっての未来と記憶とその流れの中で生まれる感情をつくることだから、だから家ってすごいんですよ。
そんな話を昨日した。

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2005年07月07日

七夕のねがいはなに?

七夕は願い事を書いて願う日なんだろうか。あまり思い入れがないので、よくわからない。しかし、そんな日にロンドンにてテロが起こった、らしい。テレビをつけても時間帯が悪いせいかどこもかしこもバラエティ番組で、いまひとつピンと来なかったのだが。願いを思い浮べられなかったひとも、こんなことが起こった今日ばかりは世界平和を願ったのだろうか。

何が本当に正しくて何が悪いのかも決めつけられないから、何をもって「平和」というのか、わたしにはまだよくわからない。でも、悪というものがなくなるとしたら、それはおそらく宗教が滅び、人間の意志が滅びる時であり、そんな世界では、きっと、最高にすばらしいものごとなんて生まれやしないのでは、とも思う。だからといって、テロを指示してるわけではないけれど。・・・むつかしいなあ。

それにしても人間とは、自らの前に壁を建て、その建てた壁を壊して進み、また壁を建てるような、なんて妙な生き物なんだ、と感じる。神様がそんな人間たちを遠く高い場所から無神経に見ている気がする。だけど、わたしは、そんな人間でも、人間として生まれ、今日もまた一つ問題を解決しては新たな問題を作って、そんな生き方がいまのところ楽しかったりする。じゃあ願い事は?って聞かれたら、そうだな、「よき結婚相手と出会えますように」ということにしておこう。

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2005年06月23日

蹴球はやっぱり裏切らない

自分のことを仕事人間だと思ったことは一度もない。
そんなわたしが、先日、驚くべき仕事人間ぷりを発揮してしまった。

あれほど楽しみにしていたロシアのダンサーの公演をポカしたのだ。
前日の土曜、ひどく風邪に犯された為に頭がおかしくなってしまったらしい。明日は仕事をしなければしなければと強い観念が巡り巡って何故か公演は1週間先だと思ったらしく、明けた日曜、本来であれば上野に行かなければならなかったのに、南阿佐ケ谷に来てしまったのだ。そして、そのミスに気がついたのは、次の日、姉から電話があったからだった。

あーーーーーーー。

気づいた瞬間、ものすごい感情だった。なんというか、言葉であらわせない。
しばらく呆然としていた。
そして、またしばらくして反省した。
風邪だって完治してるわけじゃなかったのに、無理して行った先はどうして事務所だったんだ・・・、と。

そんなわけで少し落ち込んでいたのだが、今日改めて気づいた。
俊輔のゴールですべてチャラになってしまった、と。

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2005年06月11日

上棟式にておもう

上棟式だった。
あんまり飲めなかった。あんまり食べられなかった。
笑ってる裏で、反省しなきゃならないことが沢山ありすぎて、わたしはもっと成長しなければならないと思った。半人前にもいってやしない。まず、具体的にわかった自分のミスというか欠点は、今日からは、二度としない、そう誓った。

こんなミスばかりしているのに、冗談を入れてくれた所長に申し訳なく思うし感謝したい。
あたたかく見守ってくれる素晴らしい施主にも、ばしっと肩をたたいて笑って励ましてくれる工務店の人たちにも、感謝。
あー、いいもん造んなきゃなぁ。

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2005年05月28日

好きな建築家も好きなフットボーラーも一人に絞れないわたしではあるが、最近、好きなバンド「ベルアンドセバスチャン」に続き、好きな踊り手が言えるようになった。
ディアナ・ヴィシニョーワ。ロシアのダンサーである。
静止画でみると、それほど、という感じなのだが、この間、DVDを何気なく見せられて、魅せられてしまった。1ミリのズレも許されないような正確な教科書のような踊りではなく、人間的で有機的で喜怒哀楽が隠った美しい動き。踊っていたのはクラシックなのに、クラシックともコンテンポラリーともくくるのが阿呆らしいほどの表現。一瞬一瞬の輝きが一つの群れになって動きになって、とんでもなく惹きつけられてしまう。だから、静止画でみてもしょうがないのだ。
来月、彼女は東京文化会館に踊りにやってくる。チケットは押さえた。もちろん自分の分1枚だけ。本当に好きなものは誰にも邪魔されずに楽しみたいからだ。あー、わくわくしてしようがない。

投稿者 to : 15:25 | コメント (3) | トラックバック

http://www.vishneva.ru/eng/index.htm

投稿者 Zenta : 2005年06月02日 15:11

さすがロシアと言わんばかりに画像の解像度が悪いんですよね・・・。

投稿者 to : 2005年06月04日 01:42

 プレス用には高解像度のデータも用意されているようですけどね。

投稿者 Zenta : 2005年06月04日 20:37

2005年05月21日

ありがたく思う切っ掛け

先日、事務所にいらした人といろいろとお話をしていたら、しみじみと良かったことが思い出された。
最近状況を省みて穏やかになることが少なかったけれど、あぁ、ひとは話をする相手によってこんなにも変わるのか、と思った。なんだかとても、ありがたく思った。

最近、現場監督が気を遣いたいだろうという箇所をよく解ってきてくれているみたいで、かならず連絡をくれてどうしたいか聞いてきてくれる。そして、一つの見せ場である庇の図面を渡された。2日徹夜、渾身の施工図。ありがたく、思った。

月曜はコンクリート打設で、これで上棟なので躯体工事はほぼ終わりだ。鉄筋屋さんは帰り際わざわざこちらに挨拶しにきてくれ、型枠大工さんからは「外構でも来るけど、また、もっと大きい物件で一緒にやりたい」と言われた。また、とても、ありがたく思った。

投稿者 to : 21:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月07日

マイヘルメットを手に入れた

前回ここで不満を吐いてしまったものの、正直、工事現場にかなり入れ込んでいる。しかも正確には、現場事務所にいるのではなく、本当に現場にいることが多い。

こんなに入れ込んでいるのは、施主にいろいろとお世話になっていて良いものを作りたいという理由ももちろんある。
が、そもそも、駅から事務所に向かう間にあるようなこんなに近い現場で、さらに工事をしているのが真っ当な工務店であって、なんて、こんな体験はなかなかできることではない。普段、本と想像のなかで図面を描いたりしているが、それをそばで確認できるのだ。これは、納まりという納まりをすべてどうやって施工したか、この目で確認したくならないわけがない。

といっても、張り付いていればいいというものではない。女だからなのか設計事務所だからなのか知らないが、職人さんたちはわたしと話そうともしない。・・・というか、相手にしてもらえないのだ。
だけど、わたしはしつこいから。図太くて我が侭な性格はこんなことに役が立つのか!と、煙たがられようが寒い目でみられようが、引かないわけで。マイメットやらマイ差し金(垂直の金尺)やらマイ手袋やらいろいろ揃えて、墨出しを手伝ったり、コンクリート打設時は飛び散るセメントを浴びながら一緒に型枠を叩いたり、建方が終れば掃除をしたり。とにかく何かあることに、職人にアピール!する。

本来であれば、設計事務所は工事に手を出してはいけない。それでも、やっても許される数少ないところ(おそらく造ることに直接関わらないところ)を、「しょうがないなぁ」とやらせてくれたときには、顔を合わせれば口論の絶えない現場監督だって、ありがたく思えてしまう。

最近、ようやく型枠大工さんと話せるようになった。
鳶の人たちも前より若干やわらかい物腰で返答してくれるようになってきた。

しかし、まだまだである。「先生」ではなく名前で呼ばれるようになって(イヤミなのか何なのかこんな小娘に先生と呼ぶのだ)、最後にはこちらの希望を「しょうがないなぁ」と気分を害さず造ってもらえるようにしたい。そしてわたしは、その業を確認したい。

・・・まー、設計業務がこなせてからのことなんだろうから、ほどほどにしなければならないのは解っているんだけど。

投稿者 to : 16:45 | コメント (3) | トラックバック

 建築業界の常識としてどうなのかってことはわからんけれども、本当の「先生」様になってしまったら、できない経験だろうから、結構なことでござんしょう。
 孰れにせよ、君がこの事務所にいるのには、大きな意味があったんだってことは言えますな。良かったね。

投稿者 Zenta : 2005年05月08日 23:15

そうですね!廻りに生かされてることを少しは認識したいと思います。
そう考えると、未熟な故にかなりのいい体験ができてるのかもしれないです。

わたしの傲慢っぷりも、少しは気を付けられるよう心がけなければ・・・。

投稿者 to : 2005年05月09日 01:24

あ、それから現場の人に合わせて、普段は絶対飲まないコーラを飲んでみたり、着メロ入れてみたりしてます。

ちなみに着メロは、小沢健二の「今夜はブギーバック」、ビートルズの「Long And Winding Road」ときて、今は「愛の賛歌」です。
次はストーンズの「I Can't Get No Satisfaction」にしようか、とか思っていまして。
本当に合わせるなら、もっとわかりやすさを狙わなければいけないのかもしれませんが・・・。

投稿者 to : 2005年05月09日 01:59

2005年04月23日

たばこ

7月から煙草を止めていたが、4月1日をきりに、煙草を止めることを止めた。
最初は一日2本のペースだったが、あれよあれよと増えていった。

やめる前の煙草はストレスが溜まった時というのもあったけれど、感動したときや、達成したときに吸っていた。目の前のことを消化するように吸っていた。
しかし、今はあきらかに違う。

現場の監督とは2日に1回は喧嘩をしていた。
喧嘩というか、なんというか、わたしの責任でないことをなすりつけられ、「ふざけんなよ」と心の中で爆発して一度押さえた上でそれでも暴言を吐く、みたいなパターンが多い。そういうことに対してはものを申さないのが一番いいというのもあるが、なんだか卑怯だし、自分がされたら嫌だから正面切って話し合いたいのだ。とはいえ、しばらくして要らんことまで言い過ぎただろうかなどと気にしてしまう気の弱さもあるから困ったものだ。誰かに腹を立て、責めて、あげくにその自らの行為に心労を感じている。そんな悪循環の中で、煙草を止める気もなく、より悪循環に。

いけないとは思いつつも、煙草、当分やめられないようだ。

投稿者 to : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月09日

キャラ

人と接するときに一番重要なのは個性だ。
夜中、べろんべろんによっぱらってどこかの植木に頭を突っ込み、「大丈夫ですか?」と訪ねられれば、「大丈夫です」と血液をたらりと垂らしながら言う、これぞ、個性。
3ヶ月家賃を滞納し、知人が心配して駆けつけてくれた時、頭を抱えてじっとうずくまっている、これぞ、個性。
個性というか、キャラが立っているひとは、本当に面白い。

今年から現場がはじまったせいで、最近はいろんな人と会うことがある。
天然監督、関西弁監督、衛生設備のロマンチストなおばはん、とにかく明るい電気設備の人、ぶつぶつ文句を言いつつもそれが可笑しいサッシ屋、ヴィトン坂本(現場に場違いなヴィトン鞄で登場してきたため)、など。
そこで、キャラの立った人はすぐに名前が覚えられるのだけど、そうでないとなかなかその人を憶えられないものだ。
今日はガスの打合せがあった。初めて会うのでどんな人かと思っていたら、キャラ立ちしてない感じの人で、少し残念だった。名前ももう忘れた。顔も忘れてしまった。
大事なのは仕事の中身なのでどうでもよいのかもしれないけれど、やはり自分としては自分は憶えられたいと思った。

投稿者 to : 23:51 | コメント (2) | トラックバック

 今日はこの天下向の御免疵、額に貼りつけて結婚式場のバイトに出掛けていきましたが、そりゃもうみんなちらっと見るだけで何にも言わないぐらい注目の的で。仕方ないんで自分から説明しましたが、いやこれがこの花見の時期でもなけりゃあ、女学生に不埒する悪漢と格闘、で納得だったと思うんうですわ、ほんまに。

投稿者 shachi : 2005年04月10日 04:03

正直、夜中に知らない人にそんな風に「大丈夫ですけど」なんて言われたら、怖いですけど・・・。
とはいえ、そんな武勇伝を聞いてしまうと、最近の若いもんは暴れ具合が足りんのう、と思ってしまいますね。スタンダードに生きすぎているといいますか・・・。

投稿者 to : 2005年04月14日 01:41

2005年03月26日

27

先日歳をとった。もう27である。
27相応の歳の取り方とは思えない。
明らかに10代であり、明らかにオバハンなのだ。
歳相応に歳を取れてると自分で感じられる人がいるのなら、それは結構羨ましいかもしれない。

誕生日というのは、自分の意識の中でしか存在しないのだけれど、
こういう日は、自分を省みさせてくれる。
自分がいかに生かされてるか、よくわかる。
ここで、こんなに青臭いことを書くつもりはなかったのだけれど、
わたしにとって今年の誕生日は、祝ってもらう日でなく、感謝した日だった。
まわりの人たちや工事現場のおっちゃんたちや、天気や飛行機雲にまで感謝した。

投稿者 to : 21:51 | コメント (2) | トラックバック

いやあ、そこらじゅうに書き込んでいてすみません。
小生、現在40歳でして、子曰く「四十而不惑」ですが、思惑と煩悩だらけです。
「自分は歳相応だなあ」と自認している人なんて、極々少数だと思いますよ〜。
ただ、小生は確か27か28のときに結婚したと思うのですが、この20代後半からは加速装置が付きますので、油断をしていると、あっという間にE10、F10ですよ〜。

投稿者 りんご : 2005年03月30日 00:17

27で結婚だなんて羨ましいです。
E10、F10になる前に結婚くらい体験したいです。

投稿者 to : 2005年04月08日 22:57

2005年03月13日

名をなのれ

正しい日本語を使うことがこの仕事をしていていかに重要か常に痛感されつつも、なかなか上達しない状況ではあるが、それよりももっと基本的なこととして、名をなのれないやつにはなりたくない。もしも子供を産むことができたら、その子には、挨拶をきちっとして名をなのられる人間になってもらいたいと思った。

そんな風に考えるわたしはまだまだ幼いのだろうか。

投稿者 to : 00:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月12日

好きなものへの敬意

先日、"ムーン・リバー"という曲が好きだという話をした。
歌詞も好きなので、載せてみよう。

ムーン・リバー 1マイルよりもっと広い河 いつか私は胸をはって あなたを渡ってみせるわ 私に夢を与えて来たのはあなた それを破って来たのもあなた あなたが何処に流れて行こうとも 私はついて行くわ

二人は岸を離れ 世界を見るために漂う漂流者
見るべき世界はたくさんあるわ
二人は同じ”虹の端っこ”を追いかけているの
それは あのカ-ブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ
幼馴染みの冒険仲間 ムーン・リバーと私

ちなみに”虹の端っこ”とは、"At the end of the rainbow,there is a pot of gold"ということわざから来ているらしく、夢が叶うところという意味だそうです。


さて、わたしはキリンジというバンドをよく聴くのだが、彼らの曲に"drifter"という曲がある。
そして、その一節に、こんな歌詞がある。

欲望が渦を巻く海原さえ ムーンリバーを渡るようなステップで踏み越えてゆこう あなたと

"drifter"自体、とても好き曲なのだが、"ムーン・リバー"という歌を知っているとさらに素敵な曲になる。
こんなふうに、繋がりがあると少し楽しい。
小沢健二の歌詞に出てくる steely dan だとか。
ベルアンドセバスチャンがアンコールで歌う The Who の"the kids are alright"だとか。
あげれば切りがないけれど。


音楽はひとの感情に支配されているのだから、
オリジナルを追求することも大事だけれど、好きなものに大きな敬意をはらうのも素敵なことだと思った。

投稿者 to : 23:04 | コメント (2) | トラックバック

オリジナルもいいけれど、the Innocence Missionのやつもすごくいいですよ。機会があれば、是非、聴いた方がいいですな。

投稿者 Zenta : 2005年03月14日 10:46

見つかった際は、ひとつよろしくお願いします。

投稿者 to : 2005年03月16日 19:28

2005年02月26日

ギターを弾こう!

弾けなくても弾いてると楽しいよと言われて、ずっとしまい込んでいたギターを出してみた。
でも4年くらい経ってたせいで音程がだいぶ狂っていたので、チューニングとかしてみた。
2弦は電話の音(Aつまりラ)と同じだったような・・・という曖昧な記憶を頼りに片耳に電話をあてながら。(間違ってたらどうしよう!)

チューニングを終えて、さぁ弾こう!と思ったところで、
早速コードを弾こうとしたのだが、やはりなかなか難しかったので、
まずは単音で、ムーンリバーとかシューベルトの野ばらとか、いかにも音が拾えそうな曲を弾いてみた。

おお、なかなか楽しい。

今度は、CEGとBDG(一般的になんていうか知らないがピアノの和音ではそう言う)で、
「起立。礼。着席。」をマスターした。
CEG、BDGと来たら、ピアノ的にはCFAなんだが、これはちょっとつりそうな感じだった。

まー、もうちょっとできればもっと楽しくなるだろう。
最終目標は、ベルセバのなにか1曲。・・・・いつになることやら。

投稿者 to : 23:20 | コメント (0) | トラックバック