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2005年04月30日

Next 10 years

早いもので、東京に来てから9年になる。私の人生の1/3を東京で過ごしたことになる。その間に多くの友人・知人ができ、経験を積むこともできた。そのおかげなのか、やりたいことは次から次へとたくさん浮かんでくる。それらを考えるだけでワクワクしてしまう。
それは初めて東京に来たときのあの何とも言えない高揚した感じに似ている。ずっと身体の中で眠っていたようだが、最近になって身体中に漲ってきた。春の陽気が手伝ったせいもあるだろうが、明確な目標が見えてきたからそんな風に思われるのだろう。
来年で東京に来て10年となる。次の10年はどんなことが待っているのか、冒険はまだまだこれからである。

昔の友人達に会うたびに、こういった念が強くなってくる。私は真に幸せ者である。

投稿者 tsubaki : 20:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月29日

End Of The Century

どうも、Quwabaraです。長い目で見守っていただけたら幸いです。


突然ですが、僕はRAMONESが好きです。いや、大好きです。

先月、RAMONESのドラマーであったMARKY RAMONEが来日した。
解散して、オリジナルメンバーも3人死んでしまって、絶対RAMONESなんて見れないだろうなぁ、なんて思っていた最中のことだった。それはまるで夢のような時間だった。ホントに目の前にMARKYがいるなんて信じることができなかった。

MARKYが投げたスティックを触ったが、取れなかったことは忘れられない。「End Of The Century」のラスト・シーンのDEEDEEを忘れることもできない。JOHNNYのガンコじじいさも、JOEYのあのでかさも忘れることなんてできやしない。

RAMONESが作り出したパンクは今もこうして受け継がれている。まぁ、自分がパンクスだとは言えないけど、少なからず精神的なパンクはちゃんと持っている。あくまでPISTOLS的なものではなく、RAMONES的なものだが。「Punk's Not Dead」、言っていた奴らはあまり好きではないが、まさにその通りだ。

それにしても子供だったとはいえ、なんでPISTOLSをパンクっぽくないなんて言ったんだろう・・・。

投稿者 quwabara : 05:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月28日

050428

昨日帰国した。今日は、即座に劇場の技術打合せである。まず、劇場を上下に重ねるという音、震動環境的に不利な提案を補強するために、音響専門家と対応策を練った。専門家の経験に基づいて、実さいの音環境の分析を行った。もちろん設計段階でも検討しているのだが、具体的な数値を確信を持って発表できるかどうかという最後の検討である。心配していた上下のホールの音干渉については、ふたつのホールで同時にクライマックスが訪れ、片方は祭りのような賑やかなクライマックス、もう片方はしんみりとした泣くような静寂のクライマックスだったとしよう。その音レベル差は非常に大きなものだ。数値で表すと75デシベルという値だが、これは普通の電車の車内の騒音と同等かそれ以上だから、たいそうな音である。しかしながら、どうもこれはクリアーできるらしい。
また、世田谷パブリックシアターに通い、舞台技術の詳細について打合せをした。バトンの吊り方や位置、滑車やモーターの種類やメンテナンスの頻度そのほか、今回求められているプロポーザルという提案形式においては、本来、現時点では必要ないレベルの設計内容だ。ただ、勝ちに行くときは徹底的にやらなければならない。

投稿者 geta : 19:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月27日

雑草


 草毟りのシーズン到来。毎朝、三十分前後、時には一時間ほども、庭いじりの真似事をしている。相変わらず、自分で判断する能力は低く、親人の指示(というか命令だな)であれを抜いたり、これを抜いたり。みなさんは花韮(洋名ブローディア)を御存知だろうか。南米だか北米だかが原産の、派手すぎず、すっと咲く花で、私は嫌いではない。しかし、何故か、我が家では雑草に認定されている。それ故、花壇部分に生えていると抜かざるを得ない。けれども、外側に咲いている分には放っておけば良い、とのことで、あちらこちらで白く蒼く咲き乱れている。この仕組みは何かに似ているよなあ、と、庭仕事をしながら暫し頭を捻る。ああ、そうか、煙草だ。煙草ですよ。おまえらは未成年だから吸ってはいかんが、わしら大人は吸っても良いのだ、という論理に、中学生時分に感じたあの大いなる矛盾と似ているのである。そんなことを思い出したら、花壇部分の花韮を抜く手が少々重い。

投稿者 zenta : 15:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月26日

コストについて

 何にでもコストがかかるもの。この間の花見で、私は額の傷という代償を支払った。英語で言えばこうなる。

 The cherry viewing party cost me a scar on my forehead.
 【cost は動詞で過去形も同形。この場合「代償・犠牲を払う」】

 cost にはお金の出費だけでなく、その他の「代償」や「犠牲」の意味も含まれるのである。
 私の場合正確には、
 Too much drinking cost a scar.
つまり飲み過ぎのせいなわけだが、自業自得。この程度で済んで助かった。前回の唇の上の傷が何の教訓にもなっていない自分に呆れるばかりだ。


 昨日の事故。原因はまだはっきりしていないようだが、急いでいたことが大きいのは間違いない。米英のメディアはどこも
Japan train crash kills 50
に類する見出しでまず第一報を伝えているが、やがてこんなのも出てくるだろう。

 90 SECONDS COST 50 LIVES

 90秒が50の命の犠牲を強いた


 運命とは、まったくどういうことになっているのか。

投稿者 shachi : 04:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月24日

新戦力

 新戦力が加入との事、大変心強い限りです。ガツンとパンチをお見舞いしてやってくださいまし。

●一行派

投稿者 yanhipo : 20:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月23日

たばこ

7月から煙草を止めていたが、4月1日をきりに、煙草を止めることを止めた。
最初は一日2本のペースだったが、あれよあれよと増えていった。

やめる前の煙草はストレスが溜まった時というのもあったけれど、感動したときや、達成したときに吸っていた。目の前のことを消化するように吸っていた。
しかし、今はあきらかに違う。

現場の監督とは2日に1回は喧嘩をしていた。
喧嘩というか、なんというか、わたしの責任でないことをなすりつけられ、「ふざけんなよ」と心の中で爆発して一度押さえた上でそれでも暴言を吐く、みたいなパターンが多い。そういうことに対してはものを申さないのが一番いいというのもあるが、なんだか卑怯だし、自分がされたら嫌だから正面切って話し合いたいのだ。とはいえ、しばらくして要らんことまで言い過ぎただろうかなどと気にしてしまう気の弱さもあるから困ったものだ。誰かに腹を立て、責めて、あげくにその自らの行為に心労を感じている。そんな悪循環の中で、煙草を止める気もなく、より悪循環に。

いけないとは思いつつも、煙草、当分やめられないようだ。

投稿者 to : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月22日

春と言えば辞書

 春になると、何故だか、辞書が気になり出す。家庭教師や塾屋稼業が長かったからだという要素が全くないとは言わないものの、昔から辞書が好きなのである。
 最近購入したものは、ちくま学芸文庫版の『言海』。敬愛する百鬼園先生様々を始めとする人々がいつも傍に置いていたという、あれである。私も手元に置いて、気が向いた時に引いてみているけれど、今のところ、私の素養不足が祟って世界にすんなり入り込めない。嗚呼、無教養の情けなさをしみじみ。
 もう一つは、ベリ・ベリ・チープな電子辞書である。今まで電子辞書てえものを馬鹿にしていた私である。机作業では紙の辞書が楽しいし、コンピュータ作業でならコンピュータで使用する辞書コンテンツの方が遥かに優秀だし、あれこれと使い勝手に応用が効く。電子辞書の出る幕なんざない。そう思っていた。けれども、近頃では大学に入学する若者が電子辞書を購入する率が高い、という記事を読むに至って、何とも情けない話だな、と憤り、しかし、待てよ、憤るにしたって、お主、電子辞書を使ったことがないではないか、と、いや、拙者、試さずとも想像で判り申す
……各々方、待たれい、待たれい、殿中でござるぞ……と、まあ、こんな猿芝居を演じたわけではなく、心の中でそう思って、取り敢えず、一つ入手してみようではないか、という気になったのである。本当は、仏和やリーダーズを含むような、高機能なものが欲しかったのだが、何せ、こちとら、大幅に手元不如意な為、仕方なく、極め付けの安物を選択した次第。で、使い始めて、不満は多々あるものの、大きな発見があった。机の上とマックの中以外でも辞書を必要とする場所があったのである。トイレと蒲団の中。これが、どうして、悪くないね。収録語数があまりに少ないもので、頻繁に載っていない単語に出会してしまうものの、文庫本よりも小さく軽く、低機能なだけに動作も速い。こうなると、もっと高機能の製品も試してみたくなるけれど、まあ、それは、また、いつか……また、いつか、なんて言って、相当遠い未来になりそうな気もするけれど。

投稿者 zenta : 18:57 | コメント (2) | トラックバック

おはようございます。はじめて投稿させていただきます。
電子辞書をめぐってのお話。
うちの長女が、高校の入学祝いに叔父から電子辞書をもらいました。ぱぱっ、ささっと使う時に重宝してるようですが、あれ、しおり機能があるんですってね(私は使ったことないので知りませんでしたが)。
ある日彼女が何気なくしおりを開くと・・・。そこには、ぎょっ!?と赤面するような言葉が次々と。つまり、中学生になった長男がこっそり人に聞けないような言葉を調べていたらしい(笑)。あとで聞いて目が点、うろたえ焦りながら消去しまくってた息子でありました。
この春、わが家での青春の一ページ。皆さんもお気を付けて〜〜。あはは・・・。

投稿者 Rika : 2005年04月23日 08:52

良い話ですなあ。
少年には、まずは紙の辞書で修行を積むように御指導下さいますよう。

投稿者 zenta : 2005年04月25日 14:35

2005年04月21日

050421

マドリッドに来ている。東京では、高円寺の最終プレゼンテーションへ向けてチームの面々が、それぞれの専門家と打合せをし、技術を確認し、発表内容を確認している。ぴりぴりした毎日だと期待したい。こちらマドリッドも、公園計画の進め方について、施主である市当局に質問状を送るなど、ようやく引締まった状態になってきた。
いまのところあまり旗色は良くないと聞くが、マドリッド市が2012年の夏のオリンピックに立候補している。僕たちが計画している公園に、ラフティング(カヌー)のコースをつくろうという計画が昨年夏以降もちあがり、秋からその計画を練り付加してきた。そんな、ある希望に膨らんだ時間は気持ちよく過ぎる。2月にIOCへの最終プレゼンテーションが終わり、あとは7月の投票と結果を待つばかりとなって、計画をとりまく空気は次第に現実味を帯びたものへ舞い戻ったように思う。

投稿者 geta : 19:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月20日

雨か

 我が家のトタン屋根の上に寝転がって、燦々たる春の光を浴びながら読書に勤しもうではないか、と、ヨガマットなるものを購入したのであるが、こんな天気では使いようがない。明日は晴れるだろうか……と、ほほぅ、杉並区は明日は晴れるのか。近頃は、Yahoo!やgooで、杉並区という単位の天気予報がみられるようになっている。私なんぞは、近所以外には全く用がない人間なので、このページをブックマークしておけばそれで事足りるのであります。
 手前生国と発しまするは関東は東京です。東京東京と言っても些か広うござんす……そうなのである。東京ったって、私の場合、その殆どは途轍もなく狭いエリアで日々過ごしているわけで、銀座で雨が降ろうが、蒲田で槍が降ろうが、知ったことではない。もっとも、降るものがテポドンだったりすると、それが何処に降ろうとも、杉並の住人にも大きに影響するんでしょうな。

 ところで、ヨガマットって、高いね。ヨガなんて看板が付いているものの、物は、妙に油臭い厚手のビニールのマットに過ぎない。なのに、1500円もしましたよ。百円ショップに並ぶようになるのを待った方が良かったなあ。

投稿者 zenta : 19:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月19日

レクイエム−ウェディング・バージョン−

 結婚披露宴で音楽をかける仕事をしているが、“ボヘミアン・ラプソディ”の「ママあ、人殺してきちゃったよう」に乗ってのキャンドルサービスだって朝飯前な、披露宴とはそういうジャングルである。
 司会者が二人のプロフィールを紹介する場面で、S.E.N.S.というミュージシャンの“R.−wedding version−”という曲を使っている。適度なしっとり感が回る走馬灯のバックにしっくりくる感じで重宝しているのだが、実のところこの曲、そもそも“レクイエム”つまり「鎮魂曲」というタイトルでつくられたものなのであった。それがいつのころからか婚礼業界の必須アイテムのひとつに加わり、揚げ句売る側がタイトルまで変えてしまった。「レクイエム」は「アール」に生まれ変わったのである。さすが日本人である。
 しかし先週、そんな婚礼用鎮魂曲に晴れ舞台が。

 皆さまご存知の通り、ご新婦のお父さまは半年前、お亡くなりになられました。その直前、病床に二人を呼び、ご新郎に「この子は優しい子です。どうかよろしくお願いします」と、そう語りかけられたそうです。

 満場の涙を誘った。“レクイエム−ウェディング・バージョン−”、してやったり。

投稿者 shachi : 03:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月18日

健康ノスヽメ

 
そう言えば、今でも健康ブームと言う言葉はあるのだろうか?
知らない内に自分でも、こちらに来てからだろうか、それに乗っているような気もする。


まず食生活が変わったのに伴い、昔よりも野菜が好きになった。
これはいい事か。より国際的にと言うか、国境の垣根が無くなり、バラエティーが増えた。
特に、自分で作る時にその違いを大きく前よりも感じる。

煙草をやめた。
これも健康の為と言う理由ではなく他の理由からだが、結果は一緒。
もしかしたら、意識の片隅ではそんな理由もあったのかもしれない。

水を飲むようになった。
ミネラルウォーターを買うなんて昔はほとんどしなかった事だ。

体を、定期的に動かすようにしている。


こうやって並べると、何だか本当に健康ブームに乗ってるようだ。自分には、これらをする事によって健康になろうと言う意識すらなかったのに、不思議だ。そんな訳だからもちろん、身体に悪い事だって(沢山?)している。

そう考えると、これは僕がただ単に少し大人になっただけなのだろうか?
それとも時代の流れのようなものなのか。
何れにせよ、煙草と言うアイディア自体は今でも好きなのだ。


明日は安映画館に映画を見に行く。

Coffee and Cigarettes

なかなか楽しみにしている。

投稿者 kajiya : 10:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月17日

しょうもない話し

 泥酔して、真っ赤な他人の家の風呂に勝手に入った警察官が現行犯逮捕されたそうな、しょうもな。

●一行派

投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月16日

平常心

冷静に物事を考えるということは、なんて難しいのだろう。余裕がなくなるとなおさらで、世の中腹の立つことだらけに見えてくる。それが、自分が招いた自業自得のことであってもである。お天道さまが、そう怒るなよ、周りはなかなか暖かいではないかと宥めてくるようだが、血が上った頭にはなかなか受け入れられない。そうかと言って怒ってばかりいてもどんどん悪循環になるから、違う側面で物事を捉えていくしかない。そうすると、良い面が見えてきて、悪い面も愛嬌に見えることがある。人間の心は不思議なものだ。
話は逸れるが恋は盲目ってのもある意味これに似ているのではないだろうか。
今日も平常心で居られますように。

投稿者 tsubaki : 09:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月15日

空耳ヘスス

 先週の花見の帰り道、植木にダイブした際かあるいは別でか知らないが、怪我をしたのは私だけでなく、持って間もない携帯にも擦り傷が。その様が随分とこの手元のジッポに似ているなあ。こいつは随分前のイギリスで、やっぱり泥酔して雪合戦してて付いたんだっけ。相手はスペイン人のへススだったっけ。ヘススは Jesus で、つまりイエスでジーザスだったっけ。いつかあいつと日本酒呑みてえなあ。

Hello, Jesus. Enjoy wine. I'll get you some.

(本醸造、純米、吟醸、さあ。)

投稿者 shachi : 05:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月14日

050414

果たしてコンペティションは、最終審査に残ったようだ。公開プレゼンテーションは、来月の14日である。これからまた準備をすることになる。
先日、池袋の淳久堂に行った。ジュンク堂と書くほうが一般的かもしれない。僕の認識では、椅子に座って本を読んで、選ぶもよし買うもよし買わぬもよし、なんだか関西からやってきた商売根性の旺盛な本屋ってなとこだった。マドリッドで計画中の公園のために、何か良い本はないものかとかねてから思っていたのだが、特別期待することもなく、ちょっと近くに来たという理由でふらっと寄ったのだった。生物多様性とか、植物や水のことを詳解した、ちょっと専門的な本を探して入ってみた。まず驚いたのは、1階にでーんと構えられた大きなキャッシャーのカウンターだ。レジを打つ店員が20人くらいはいるだろうか。次から次へとお客さんを裁いている。普通良く行く紀伊国屋書店にしろ、八重洲ブックセンターにしろ、支払いは各階でするし、そのレジにはせいぜい3人とか5人とか場合によっては10人とかが対応しているようである。6階も7階もあるフロアーに、それぞれキャッシャーを置くより、1階に集中して置くほうが、人員削減には役立ちそうだ。買う我々も、全フロアーまとめて支払いできるほうがどんなにありがたいことか、いままでの本屋さんでとても面倒くさいと思っていたことのひとつである。
各フロアーでは、図書館にいるような感じすらするように、普通のというより、いつも良く行く本屋では決して見ないような、そうは売れないように思われる本が、普通に出て行きそうな本に混じって置かれている。すなわち、売れるか売れないか専門的か一般的かという概念ではなく、一律、ジャンルや項目ごとに分けるという、たったひとつの基準によってちゃっちゃと棚に入れられている。だから図書館みたいなのだ。そして椅子があって、座って読んでいる状態が、受け入れられてしまうのだ。各フロアーの店員は、館内PHSみたいな通信装置で1階カウンターと直接話して、客が捜し求めている本が、何番の棚のどちらの側にあるかすぐ調べてくれるのだ。
おそらく、そうした合理化が、棚に陳列する書籍の種類を増やすことにつながってるのではないだろうか。それらの本は、もしかすると玉石混交かもしれないが、チョイスは客がすればよい。インターネットの書店の現実版のような感じがしておもしろかった。結構、関西もいいんじゃないの、などと思ってしまったのだ。

投稿者 geta : 19:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月13日

別の温度差

 夢のエネルギーはないものか、と考えるに、夢かどうかは兎も角も、国を挙げて取り組んでもらいたいものがある。小水である。つまり、おしっこね。おしっこ。
 温度というのはエネルギーである。放出時には体温相当だろうから、概ね36度ほど。季節によるけれど、平均気温の16度と比べると20度程の温度差がある。1ccの水を1度変化させるには4.2Jのエネルギーが必要である。一日のおしっこの量を1500ccと仮定すると、一人が126Jを放出していることになる。また、高さというものもエネルギーである。1500ccのおしっこが落下する距離を控え目に50cmとしても、7.5Jのエネルギーが発生する。
 つまり、一人の人間が一日にするおしっこからざざざーっと130J以上のエネルギーが放出されている。日本だけでもその一億倍。地球全体では六十億倍ですぞ。日に八億kJほどか。これだけのエネルギーが、毎日毎日、トイレの中に、あるいは、地面に、あるいは、海だのプールだのの中に、無駄に捨てられているのであります。誰かこのおしっこエネルギーを何とかする方法を発明したまえよ。

*注意:私の雑な計算、雑な思考が大幅に間違っているということは、大いにありえます。

投稿者 zenta : 21:39 | コメント (1) | トラックバック

なるほどー!熱く、勢い良く、迸らせることで、
地球が救われ、エネルギー問題が解決し、原子力なんて、危険で汚い(更に金と欲と無責任にまみれた)
ものに頼らずに済むんだから、
こんな、清清する事はない!

投稿者 Anonymous : 2011年04月21日 21:49

2005年04月12日

空耳2

 If you're sober, money shuts you up.
 (しらふならあんたをカネが黙らせる)

 「芋、蕎麦、麦、焼酎、ああ」
と聞こえた。
やっぱ飲みたいぞ焼酎。
いろいろあるよな、焼酎。
どうしよう・・・


 Should all nights be unkind to each cowboy?
 (夜が全部向こう見ず野郎にはつれなくっていいっていうのかい?)

 「白波、雲海、いいちこ!ボーイ!」


お酒さまあっ!

投稿者 shachi : 03:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月11日

なまの

先日、日本から遊びに来ているYさんのお誘いにのってアフリカの現代アート展へ。Africa Remix。


http://www.hayward.org.uk/exhibitions/current/index.html


そのエキシビション自体は素晴らしく、久しくエネルギーのあるものに触れていなかったのも重なり、凄くよい刺激を受けた。何と言っても、生の手触り。アフリカンアートにはどことなく、生臭い様な触感がある気がする。これって、暖かい国特有のものなのだろうか?


何はともあれ、そんな生のエネルギーに触れて、何だか少し心が動かされてしまった。
色々な決断が後回しになっているが、そろそろ終わりにしよう。

夕暮れどきに流れるトム・ウェイツのClosing Time。
久しぶりに聴いたアルバムはあの時のままだった。

もうすぐ夏が来る。
僕は前を向いているつもりだ。

投稿者 kajiya : 08:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月10日

反日デモ

 イデオロギーとプロパガンダ、コオロギとプロパンガスか色黒パンダ?

●一行派

投稿者 yanhipo : 09:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月09日

キャラ

人と接するときに一番重要なのは個性だ。
夜中、べろんべろんによっぱらってどこかの植木に頭を突っ込み、「大丈夫ですか?」と訪ねられれば、「大丈夫です」と血液をたらりと垂らしながら言う、これぞ、個性。
3ヶ月家賃を滞納し、知人が心配して駆けつけてくれた時、頭を抱えてじっとうずくまっている、これぞ、個性。
個性というか、キャラが立っているひとは、本当に面白い。

今年から現場がはじまったせいで、最近はいろんな人と会うことがある。
天然監督、関西弁監督、衛生設備のロマンチストなおばはん、とにかく明るい電気設備の人、ぶつぶつ文句を言いつつもそれが可笑しいサッシ屋、ヴィトン坂本(現場に場違いなヴィトン鞄で登場してきたため)、など。
そこで、キャラの立った人はすぐに名前が覚えられるのだけど、そうでないとなかなかその人を憶えられないものだ。
今日はガスの打合せがあった。初めて会うのでどんな人かと思っていたら、キャラ立ちしてない感じの人で、少し残念だった。名前ももう忘れた。顔も忘れてしまった。
大事なのは仕事の中身なのでどうでもよいのかもしれないけれど、やはり自分としては自分は憶えられたいと思った。

投稿者 to : 23:51 | コメント (2) | トラックバック

 今日はこの天下向の御免疵、額に貼りつけて結婚式場のバイトに出掛けていきましたが、そりゃもうみんなちらっと見るだけで何にも言わないぐらい注目の的で。仕方ないんで自分から説明しましたが、いやこれがこの花見の時期でもなけりゃあ、女学生に不埒する悪漢と格闘、で納得だったと思うんうですわ、ほんまに。

投稿者 shachi : 2005年04月10日 04:03

正直、夜中に知らない人にそんな風に「大丈夫ですけど」なんて言われたら、怖いですけど・・・。
とはいえ、そんな武勇伝を聞いてしまうと、最近の若いもんは暴れ具合が足りんのう、と思ってしまいますね。スタンダードに生きすぎているといいますか・・・。

投稿者 to : 2005年04月14日 01:41

2005年04月08日

桜花を謳歌し 呑みに呑んだり 花見酒

 花と風と呑み助と、ああ、これぞ日本の春。灘の酒、あさがや物語なる酒。桜花を謳歌していたのに、謳歌はいつしか嘔吐に変わり、吐きに吐いたり。朝七時半まで嘔吐は続き、最早、胃の中はすっからかんで何もない。頭の中もすっからかん。心身ともに空っぽな春の日、それでも、今日も桜は美しい。

桜花を謳歌し 吐きに吐いたり 花見酒

投稿者 zenta : 13:26 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月07日

050407

高円寺のプロジェクトを提出した。最後まで、細心の注意を払って、グラフィックの処理をする、文章を推敲する、レイアウトを吟味する。そんなあたりまえのことを、久しぶりに最高の緊張感とともに終えた。それにしても若い所員たちのなかには、そういう作業に少々無頓着な雰囲気があったのは信じがたいことだった。僕がレギュラーで所員だったころは、提出直前にはそれはもうぴりぴりした空気が漂っていたものだ。その一枚が勝負なのだ。0.1ミリの狂いが全てをだめにする、と言えば少し大げさすぎるかもしれないけれど、それほどの緊張感が漲る中、小さな調整を積み重ねることが、そのデザインにかけたわれわれの意気込みを伝えるのだ。最後がぼければ全てがぼける。
つぎつぎにほんの少しずれただけのコピーしたような複製品が溢れかえり、誰でも簡単にそんなものを作れるいま、一枚にこだわることなど意味がないといえばないのかもしれない。CRT画面の上では、実物の大きさなど意味を持たないのだし。あるのは、ものごとや線と線、点と点の関係性だけだ。拡大縮小は言うに及ばず、動画の加工も意のままだとすると、ひとつのポジションやエレメントにこだわることに、そんなに意味がなくなってしまうと言えなくもない、という一見合理的な結論に至るような気もする。彼らは本当にその一枚に意味を見出さないのだろうか。頓着がないのだろうか。レイアウトやデザインが「動く」ことなんかに慣れてしまったのだろうか。

投稿者 geta : 19:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月06日

温度差

 夏は暑く、冬は寒い。東京ってのはそういうところである。但し、同じ東京であっても小笠原辺りに至ると、年中夏に準ずるってことのようだけれど。
 その寒暖というのは、標準的な日本語なのであるからして、語自体は汎用性が高い。高いのだけれど、質としては、個々人に依存した極めて感覚的なものである。例を挙げる。
 リハーサル・スタジオの過半では冷房が効き過ぎていて、寒くてかなわんよ、と私には思える。けれども、寒がっている私の傍で、半裸になった上で、猶も暑い暑いと騒ぐ戯け者もいる。
 六月でも夜ともなれば冷える日も間々あるので、ダウンジャケットを着込んで出かけると、おいおい、全ちゃん、六月にダウンはないんじゃないの、と、驚嘆される。君らこそ、六月にTシャツ一枚ってのはおかしいんじゃないのかね、夏になったら裸で歩くつもりか、と、こちらこそ問いたい気分。どうかね。
 私は通常シャワーの温度を37度に設定して浴びている。それに対して、我が家の人々は42度のシャワーを浴びている。37度では寒くて入れませぬ、と申す。彼女たちの体温は私より高いとはいえ、36度台である。何故、37度の水(あるいは湯)に対して寒いという感想を持つのだろうか。彼女たちの感性を尊重して百歩譲ったとしても、「寒い」ではなく「暖かさが不足している」というような物言いが正しいのではないか。

 寒暖なんざ、斯くの如く、大きに恣意的に表現されるもので、全く以て人によりけり。尤も、インフルエンザで39度を超える熱を出してくらくらしている人間に関しては、自覚的にも他覚的にも「やばいぐらいに熱い」と意見が一致したのであった。39度超の熱というものには、勝手気儘な佐藤家の人々の意見を統一する程の威力があるのであります。

投稿者 zenta : 16:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月05日

My Condolences

John Paul Jones died.
「ジョン・ポール・ジョーンズが死んだ」

John Paul II died.
「ヨハネ・パウロ二世が亡くなった」

投稿者 shachi : 04:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月04日

夜明け


そう言えば、Popeが亡くなったんだ。
帰り道にそんな事を思った。
春の夜明けは何だか心地よく、バスが風のように街をぬけ、僕を家まで運んだ。
 

投稿者 kajiya : 22:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月03日

 野球やサッカーやら、何故「草」なのか、やっぱり草ぼうぼうのはらっぱでやってたからか?

●一行派

投稿者 yanhipo : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月02日

能の世界

初めて狂言と能の舞台を鑑賞した。野村萬の「文相撲」と岡田麗史の「熊野」である。独特な前屈みの立ち姿や身体の水平的な動き一つ一つに緊張感があり、私には刺激的な舞台だ。ただ、狂言は聞き取れるのだけれど、能の唄の内容がろくに分からない。それが残念で早速書籍を購入した。次に観るときには趣深く感じられることを期待しつつ、本を開こう。何だかワクワクする。

投稿者 tsubaki : 11:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月01日

空耳

 宵越しの銭は酔っているから残らない。飲んでないけりゃ飲む前に、このなけなしの明日の生活費が、性懲りなく「ちょとかるく」を言い出そうとするこの口を封じるのである。

 If you're sober, money shuts you up.
 「しらふならあんたをカネが黙らせる」

 これが

 「芋、蕎麦、麦、焼酎、ああ」

と聞こえるのは空耳か。

投稿者 shachi : 23:38 | コメント (0) | トラックバック

嗚呼

 インフルエンザ、恐るべし。
 本日の編集中止、申し訳ござんせんが、平に平に御寛恕の程。

投稿者 zenta : 23:20 | コメント (0) | トラックバック