« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月30日

馴染みの町

家の回りを自転車でぶらぶらしていると、近所の方に声を掛けられるようになってきた。天沼に住むようになってから2年しか経っていないのだが、いつの間にか、近所の方々と声を掛け合うようになってきた。銭湯のおばちゃん(林泉湯)、中華屋のおっちゃん(味十一番)、ベルギービール屋のマスター(バルト)、焼き鳥屋の老夫婦(鳥久)、安くて旨い鉄火丼を作っているじいちゃん(川秀)、床屋のあんちゃん(オシャレサロンTANAKA)・・・、実は何方の名前も知らないのだが、出会えば、ふと顔がほころんで、挨拶したり、されたり、となんだか町に馴染んできたようで不思議な感じである。学生時代を振り返ると、近所の馴染みのお店なんてものができた例しがなく、もちろん声を掛けられるわけでもなく、それになんの不満もなく、寧ろその方が楽だったような気もする。けれども、何年、何十年も経ってから懐かしく感じるのは、物や場所だけというのは寂しいものである。人も含めて町にどれだけ馴染んでいけるかが今後の課題である。

投稿者 tsubaki : 02:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月29日

ウイルス

 家人がウイルス性の風邪で九度近い熱を出して倒れている。近所の診療所で診てもらったお蔭で、少しは楽になった様子。結構、結構。けれども、同室で起居を共にする私がウイルスに乗り移られる危険性はそれなりに高いだろう。また九度の熱を出すのか。恐ろしいなあ。嫌だなあ。
 本を正せば、そのウイルスというのは、家人が職場の見目麗しい同僚から頂戴してきたものである。ウイルスも旅が好きなのだな。どこから来て、どこへ行くのだろう。いやいや、そういう問題ではない。
 わしらが生きてゆくためには転々と寄生するしかない訳で、恨むなら、このような生き物として俺を作った神を恨めよ、と言うのが当人の弁となろうか。そうか、君だって生きているんだものな、と思うけれども、苦しい目に遭うのは嫌だ。嫌なものは嫌なので、こちらも何とか移されないように頑張るしかないのである。

 医学が進むと、このウイルスが絶滅して地球上から消えてしまう日がやがて来るのだろう。そう思うと、まあ、ウイルス君が存命なうちに、風邪で寝込むぐらいしてやってもいいかな、という気になったりして……いやいや、いかんいかん。

投稿者 zenta : 00:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月28日

夏がよろめくのは六月の花嫁

披露宴会場の隅っこで仕事していて、何の波乱もなく、あんまり暇だったので、june bride のアナグラム(文字の並び替え)に挑戦した。

 be injured

うーん、きれいに出来たんだけど、

 June bride, be injured.
 六月の花嫁さん、怪我しなよ。

って、これじゃあどうにもやなかんじ。でも現場じゃあえなく時間切れ。そんでここに書いてやろうと思って、後から辞書と首っ引きで考えたが、やっぱり時間切れ。下手に辞書なんかあると、

 rib end jeu 「妻は遊びを終らせる」

とか、なんか不自然なやつが出てくるばっかりで。jeu はフランス語そのままの借用語で、「遊び、賭事、賭博」。そんな言葉知らなかったし、「肋骨」rib のおまけの意味に「妻」があるなんてのも、知るわけない。慣れない言葉を使えば、そりゃぎこちなくもなる。冠詞もなけりゃ、サンタンゲンの s もついてないし。降参。

投稿者 shachi : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月27日

ピクニック


金曜日は最後の学期が終わるのを記念して、皆でピクニック。

ウエストミンスターで待ち合わせて、ボートでグリニッジまで川下り。そして、グリニッジでピクニックってなコース。うちの課は先生がイベント好きで、こう言った物をいつも計画してくれるのでありがたい。

で、本当はその日も学校では卒業展は続いていて、防犯の為に誰かが展示場にいなくちゃいけなかったのだけど、そんな事をすっかり忘れたまま、企画されたこのピクニック。先生はいつも通り「大丈夫、大丈夫」「誰か代わりでも探すから」とか、言ってるけど大丈夫な訳がない。クラスの女の子達は、「どうするの?」と心配していいたのですが無事開催されました。

でも、結局どうしたんだろう?と不思議に思って聞いて見ると、


「あ、誰も見つからなかったから、鍵閉めてクローズにしたよ」


え、いいんですか?

そう言うの?


うちの課だけ今日はお休みだなんて。。


まあ、いいのか。
本当にお気楽な雰囲気で良いクラスでした。

卒業展の方もうちの課は凄く評判が良く大成功。

自分も二つ作品が売れました(!)。
やっぱり、自分の作品が売れると嬉しいもんです。

売れる売れないに関わらず、見た瞬間にピタッとその人の足が止まり、ぱぁっと明るく微笑むとか、しばらく見つめた後にくくくっと嬉しそうに笑ったりするお客さんがいると、何とも言えない報われた気分になるのです。伝えたい事が伝わったのかなぁ、と。

残るはNewDesigners。あと一つか二つ売れれば、ホリディに行けるんだけど…。

投稿者 kajiya : 07:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月26日

表示文字

 字が大きくなったぐらいじゃぁ、、、、オラァ逃げねぇですよ。

●一行派

投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月25日

050625

赤いドイツってのはどうなんでしょう。コンフェデレーションズカップのことですけれど。僕が知ってるドイツのジャージの色は、上から白黒白か緑白緑。74年のワールドカップの決勝戦、オランダの躍動的なオレンジ色と屈強なドイツの白いジャージが、緑の芝生の上で相まみえた一戦は、いまだに鮮やかな色彩が目に浮かぶ。同じ大会、大雨のゲルゼンキルヘンスタジアム。鍛え上げられたドイツの選手の肉体にぴったり張りついた、緑のジャージはカクテル光線に映えていた。大会屈指の好ゲーム、スウェーデンの10番、エドストレームの放ったボレーシュートは、名手マイヤーの手をかすめもせずにネットに突き刺さった。直前、ヘディングのクリアーをミスして彼の真上に上げてしまったのは、ドイツの4番シュヴァルツェンベックだった。身体は大きく屈強だが、決して器用ではない重戦車のようなバックの選手だった。2005年、ブラジルにPKを献上したのはドイツの4番。同じようにどう見ても華のない、インテリジェンスはもしかしたらあるのかもしれないけれどそうは見えない、強さ第一の印象がぬぐえない。30年たっても、ドイツには同じような選手がいて、同じようなチームづくりをするのかしら。どうせなら、ジャージの色も変えなきゃいいのに。

投稿者 geta : 22:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月24日

将来は・・・

前やっていたバイトに、高校の後輩がいた。その娘は現役の高校生で、何かと高校の情報が入ってくるのだが、つい先日、教育実習生が来ていたという話を聞いた。

詳しく話を聞いてみると、その教育実習生の中には自分の友達もいたらしい。
友達が杉高で生徒に勉強教えてんだとか、先生って呼ばれてんだって想像してたらなんだかすごく笑えてきた。

でも、冷静になってみると素直に笑ってる場合ではなかった。自分ももうそんな歳なんだなぁとか、周りはちゃんと先のこと考えてんだ、って考えているうちに、なんともいえない気持ちになってきた。

まともに勉強もしないでダラダラと毎日過ごしてる間に、周りはしっかり自分の道を見つけて、それに向かって進んでいる。もう自分も遊んでばかりもいられないな、と実感させられた出来事だった。

・・・とかなんとか言って留年してるし、みんなより1年多いから、まだまだ学生気分は抜けそうにないなぁ。

投稿者 quwabara : 19:46 | コメント (1) | トラックバック

 昨日、高円寺の商店街で元の生徒に4年振り、ばったり出くわしたのでして、彼もやっぱり悩んでましたよ。大学は出たが、さて、どうしようか。あたしのその頃の、バブルでお金がじゃぶじゃぶしてた頃と、似てるようで違うようでそうでないようで。

投稿者 shachi : 2005年06月26日 01:24

2005年06月23日

蹴球はやっぱり裏切らない

自分のことを仕事人間だと思ったことは一度もない。
そんなわたしが、先日、驚くべき仕事人間ぷりを発揮してしまった。

あれほど楽しみにしていたロシアのダンサーの公演をポカしたのだ。
前日の土曜、ひどく風邪に犯された為に頭がおかしくなってしまったらしい。明日は仕事をしなければしなければと強い観念が巡り巡って何故か公演は1週間先だと思ったらしく、明けた日曜、本来であれば上野に行かなければならなかったのに、南阿佐ケ谷に来てしまったのだ。そして、そのミスに気がついたのは、次の日、姉から電話があったからだった。

あーーーーーーー。

気づいた瞬間、ものすごい感情だった。なんというか、言葉であらわせない。
しばらく呆然としていた。
そして、またしばらくして反省した。
風邪だって完治してるわけじゃなかったのに、無理して行った先はどうして事務所だったんだ・・・、と。

そんなわけで少し落ち込んでいたのだが、今日改めて気づいた。
俊輔のゴールですべてチャラになってしまった、と。

投稿者 to : 01:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月22日

いらないんですけど

 Micro$oftとかいう会社が、杉並区立の小中学校にxboxとかいうゲーム機を80台も恵んでくれたそうである。型落ち寸前の不人気ゲーム機を恵んでもらって、ITだの、チャット授業だの、なんだの、と嬉々としてはしゃぐ区長や教育委員たち。杉並区の未来は大丈夫なのか。
 ヴィデオ・チャットのキットと合わせても、実売価格でせいぜい2万強のゲーム機を80台。これで、日本中にニュースが流れて大宣伝。何とも割りの良い広告効果に、M$としちゃ笑いが止まらんことだろう。

 それにしても、なぜ、杉並区のホームページには公式発表の記事がないのだろう。不思議だ。

http://www.xbox.com/ja-JP/news/news/20050616.htm

投稿者 zenta : 11:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月21日

TRIO LOS YAMOS

 クモやらゴキブリやらダニやらカやら、昆虫との同居はさして珍しくもないが、動物となると、東京では家の中まで入ってくる奴はあんまりいない。田舎に居た頃には、隙間だらけの離れの物置き部屋で朝起きたら、畳の隅にちっこいヘビがいて腰を抜かしたこともある。ホームズの『まだらの紐』の恐怖にしばらくその部屋で眠れなかったっけ。でも、ここではネズミか、あるいはこの時期ならヤモリぐらいか。
 うちのヤモリは、去年まで二年ばかり三匹トリオで出現。開けっ放しのトイレの窓から、約3センチ地点までが巡回テリトリーになっているようで、たまに出くわしても逃げるでもなく、じっとして、じつに愛らしい。
 そのトリオ・ロス・ヤモスが今年は一匹しか来ない。浮気したか。

050621mm.jpg

 ちなみに、かつてヤモリがなんで守宮なのか調べて、からす新聞に書いたことがある。再掲する。

 平安時代の百科事典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』によれば、
「常ニ屋壁ニアル故ニ守宮ト名付クナリ」

 こちらは表で、裏もある。

 江戸時代の辞典『大和本草(やまとほんぞう)』曰く、
 「コノ血ヲ婦人ノ身ニヌレバヲチズ(落ちず)、婬事アレバヲツルト云フ、此レ故ニ宮中ヲ守ルトイフ意ヲ以テ、守宮ト名付ク」
 つまり、子宮を守ってくれるから「守宮」。浮気をテストする。

投稿者 shachi : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月20日

終わりの始まりは、これからの始まり


土曜はデグリーショー(卒業展)の初日だった。

ぎりぎり前日に終了した会場設置も、何とかいい感じにまとまり安心。いつもはいい加減な先生達もこう言う時は流石、上手くまとめるものだと感心。 そんな訳で初日は家族や友達の為のプライベートビュー。 暑い中、来てくれた方々に感謝。

普段あった事のない、クラスメートの家族にあったりするのはナカナカ楽しみで、「家族全員、同じ顔じゃん」と驚いたりして面白かった。


このエキシビションも来週一杯でおしまい。
後は、七月の頭に幾つもの大学合同での大きなショーを残すだけ。

何となく、お祭りが始まったという喜びと、これで終わりだという寂しさが入り交じった感覚。
そして、これからへと続いて行くのだろうか。

投稿者 kajiya : 11:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月19日

海にお船を浮かべて〜

 現在1級船舶免許取得の為猛勉強中。20t以下の船なら海域制限無しなので、世界一周も夢じゃない。

●一行派

投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月18日

上棟式

事務所近くで工事が進んでいる診療所と住宅の上棟式があった。もともと何もない土地に、あるいは古い建物を取り壊して更地にした土地に、建物の骨組みができあがり、建物のかたちが現れたことを祝うのが上棟式である。地面を均したり整える地業(じぎょう)、基礎の工事につづいて、大工や鉄骨、コンクリートの工事が行われる。建築のすべての工程の中でもっとも荒々しく、かつ建物の骨格をつくる重要な工程である。また、その後の工事のための段取をし、さまざまなことを決定しなければならないのもこの時期で、それらを含めてひとつのものごとが達成された節目の儀式なのである。嬉しいことである。
上棟式は、施主が催し、それまで施工に携わった職人達をねぎらい工務店に感謝する。これから施工の中枢を担う職人たちも集まり工事の受渡しの意味もあるのだ。施工者は、施主自身や施主の家族、親戚などに会い、この建物をきちんとつくろうと気持ちを新たにする。また設計チームが建築(物理的なモノとしての建築を指すのではなく建て造る行為を指す)引張っていっていることをみんなが再認識する。酒を飲み交わし食事をし、建築をつくる三者が互いのことを一歩進んで理解する機会なのである。
当日は、鳶や鉄骨、型枠大工や鉄筋工など躯体の施工に携わった職人や各種工事に関わる人びと30人、工務店から8人、施主の関係者が子供を入れて15人くらい、そして設計チームは6人の合計60人もの人びとが集まった。全員が住宅の広間となる空間に入ってあまりあったのは、設計者としてもいささか驚きだった。子どもたちは、道路から住宅の中まで所狭しと走り回り、玄関の辺りにはバーベキューコーナーがつくられ煙がたちのぼる。住宅の空間は、都市的なさまざまな物事がおこる雑踏のようであり、それでいてもちろん私的な祝い事の雰囲気が漂う空間となっていた。僕は、実は僕だけが知ってるのではないかと思われるこの家のもっとも良い空間にすわって全体を見回していた。コンクリートの躯体が力強い、壁の量もよかった、窓の位置やサイズも何度も吟味しただけによさそうだ。そして何よりも許容力のある骨太な空間ができるような感じがして少し安心した。

投稿者 geta : 20:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月17日

 なんだか今年の夏はあつくなりそうな気がする。

 というのも、今年の夏は個人的に見たいライブがたくさんある。来月にはThe Damnedが来るし、フジロックにはFoo FightersやBeach Boys、BECKやPoguesも来るし、サマソニにはOASIS、Weezer、Special Beat、Duran Duranといった面々。あと同じ頃にロカビリー、サイコビリーのイベント「Tokyo Big Rumble」もあるし。他にも細かいライブがちらほら。あぁ、ほんとにどれもこれも行ってみたい。

 ・・・とは言ったものの、自分の体はひとつ。行けてイベントひとつだろうなぁ。一体どれに絞るべきなのだろうか。ここ最近で一番の悩みかもしれない。

投稿者 quwabara : 19:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月16日

ネットオークションはだふ屋の温床

最初はそれほど行きたいとは思わなかったのだ。親友が久々に東京に来るというから、どこか変わったところに連れていきたいと思い、中村勘三郎の歌舞伎を見に行こうと決めた。決めたはいいが、チケットは既に完売である。なんとか手に入れたいとネットオークションを覗いてしまった。これに手を出してしまったのがいけなかった。
チケットはあるにはあるのだが、どれも怪しそうなものばかりである。恐る恐る入札してみると、静かだった値段がどんどん上がっていく。ここまで粘ったのだからと、勝負の意識が芽生えはじめ、当初の予算を遥かにオーバーしていても何故かおかまいなしである。結局元の2倍近い価格で落札してしまった。まったく阿呆である。
きっと出品者はだふ屋だったのだろう。さくらもいたのだろう。そんなことには薄々気付いていたのだが、どうしても欲しくなってしまった人には関係ない。
なんとか観ることができた歌舞伎の舞台。隣で眠っている親友を見ながら、もう2度とネットオークションには手を出さないと心に誓った。

投稿者 tsubaki : 23:54 | コメント (1) | トラックバック

 ま、そんなことも良い勉強でござんしょう。

投稿者 Zenta : 2005年06月17日 22:47

2005年06月15日

雨だよ

 雨が降っていると、流石に、草毟りなんざする気がしない。気がしないだけでなく、実際、しないのである。けれども、ちょっとは気になるので、窓から覗いたりして。視力が良いもので、あの辺りに新しい雑草が生えてきているじゃねえか、なんて、見えちゃったりして。するてえと、気になって仕方がない。明日になったら、忘れずに毟らないとなあ、と。でも、梅雨ですからね。明日も雨かもしれないってんで、杉並区の天気予想をウェブで調べる訳。ほほぅ、今夜半まで雨で、明朝にはあがるんですな。いやあ、結構、結構。

 昼んなって飯を喰う。珍しくも何ともない。来客の相手をする。これも、然程珍しくはない。じゃあ、まあ、その件は検討しておきますから、なんてんで、ご機嫌よう、と客人を送り出す。珈琲を淹れて、一息ついて、さあ、と階段を上がって自室に戻ろうとするところで、また、階段下の窓から覗く訳である。ああ、まだ降ってるねえ。何だって、雑草てえやつは、ああもめきめき育つんだろう。しかし、雨ですからね。まあ、明日の朝にしますか。

 Macであれこれして、手が空いた時に、また天気予想のページを見てみる。数時間でそんなに変わるはずもないけどさ。明日の朝には止む、と。止みますか。結構、結構。

 ピンポーンと宅急便が届く。で、どたどたと階段を駆け降り、判を押して受け取る。ああ、Amazonか。ううん、まだ止まんねえ。しかし、あれだね。天気予報てえものは、意外に当たらないからね。明日は降らぬと言い切れるものだろうか。明日も降ったらどうしてくれよう。窓から外を覗き、そんなことを思う。

 暫くして、またピンポーンと、今度は何だい。おや、ASKULか。そういや、ノートとガムテープと朱肉、それに庭仕事用のビニール手袋を頼んであったのだった。で、また、外の様子を窺う。あれあれ、おいおい、止んでいる風じゃありませんか。一応、ちょいと出てみるか。なんてんで、外に出て、目に付いていた雑草を抜いて見たりして。すると、また、ぽつぽつと降ってきましたね。慌てて、屋内に戻る。

 ぽつりぽつりと濡れはしたけれど、目障りな雑草を片付けられて、何とはなしに満足したような気分になるから不思議である。しかし、こんな天候が一月も続くとはねえ。庭仕事には何とも不向きな季節であります。

投稿者 zenta : 20:50 | コメント (1) | トラックバック

 結局、降ってますなあ。

投稿者 Zenta : 2005年06月16日 16:42

2005年06月14日

二角形

 エフュージョン尼崎。列車が突っ込んだ例のマンションの名前。開発業者によれば、
「マンションのシリーズ名である「eF/usion」は、社名×××××のF、環境(environment)、融合(fusion)という言葉を組み合わせた造語で、その地域の環境に溶け込む物件つくりを意味しています。」
なんだそうで。でも effusion という言葉はちゃんとあって、「発散、放出、流出」の意。フランス語とも同語源で、手許のクラウン仏和辞典には、
“accident affreaux avec effusion de sang”
「流血の惨事」
なんて気の滅入る例文が載っている。
 もちろん外国人による日本語の「珍用」も数知れない。中でも、私の考えるこの手の勝手な組合せの最高傑作は、何と言っても、

 二角形

だ。なんだ、そりゃ。確かニューヨーカーのTシャツのプリントだったと記憶しているが、英仏語に effusion が実在したように、そういうものが、この世か、違う次元か、あるいは他の宇宙とかにはあるんじゃないかと思うと、深くはあるまいか。

投稿者 shachi : 03:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月13日

天才なのかもしれない

先月、とあるカフェでアコースティック・イベントがあると言うので友達と偵察に。

それは、下手でも何でもいいから取り敢ずやってみよう!と言った感じのなアットホームなコンセプトのイベントで、誰でも自由に、ギターを持ってくれば参加出来て、一人二曲までで、参加者も色々。

主催者の人が上手過ぎないのはそのイベント自体の色合いが出てていい感じ。 かと思えば、レズビアンのおばちゃんが凄く上手でかっこよかったり、 でも、その時一番凄かったのはフランス人の彼。


英語もほとんど喋れなく、少し対人恐怖症っぽい彼は、コードなのかそうじゃないのかぐらいのギリギリの所で、ギターを一心にかき鳴らし、訳の分からない歌を歌いながら、全く予想の出来ない音をジャーンと出したと思ったら、次の瞬間、いきなり単音で、


べーン、べべべーン、ベーーン!


思わず、友達と顔を見合わせて、

「やばい!!」
「凄すぎるー!!」

と、叫んでしまいました。(小声で)


いや、本当にピカソの絵のような衝撃。
簡単に言い切ってしまえば、凄く ヘタ だったのですが、
何故か、引きずり込まれてしまう。


二人で、あの子は何かちょっと変われば凄い事になるに違いないと興奮。
あの瞬間二人ともかれのファンになってしまいました。うーん、もう一回聴いて見たい。

投稿者 kajiya : 21:48 | コメント (1) | トラックバック

 件の彼が天才かどうかは兎も角も、何ともおもろそうですなあ。
 阿佐ヶ谷でもそういうイベントが出来ないものだろうか。

投稿者 Zenta : 2005年06月14日 02:05

2005年06月12日

ここ変・関西シリーズ

 関西ではバスの運ちゃんも、運転マナーが際立って悪い。公共交通機関って誇りは微塵も感じない。

●一行派

投稿者 yanhipo : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月11日

上棟式にておもう

上棟式だった。
あんまり飲めなかった。あんまり食べられなかった。
笑ってる裏で、反省しなきゃならないことが沢山ありすぎて、わたしはもっと成長しなければならないと思った。半人前にもいってやしない。まず、具体的にわかった自分のミスというか欠点は、今日からは、二度としない、そう誓った。

こんなミスばかりしているのに、冗談を入れてくれた所長に申し訳なく思うし感謝したい。
あたたかく見守ってくれる素晴らしい施主にも、ばしっと肩をたたいて笑って励ましてくれる工務店の人たちにも、感謝。
あー、いいもん造んなきゃなぁ。

投稿者 to : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月10日

不健康だけど

 身近なファストフードと言えばハンバーガー。最近もマクドナルドが商品の価格変更をして、より消費者の身近なものになっている。

 本国アメリカのマクドナルドも、セットにサラダをつけ、ビッグサイズの商品を減らすなどして、ヘルシー路線で業績を向上させた。それに対し、180度違う戦略で業績を上げたのが、バーガーキングである。バーガーキングは週に5回ファーストフードを利用する、脂肪たっぷりのメニューが大好きな男性客にターゲットを絞った。そして考え出されたのが、新しい朝食メニュー「イノーマス・オムレツ・サンドイッチ」という、760kcalの超へヴィー級ハンバーガー。バンズの間にオムレツとスライスチーズを2枚ずつ、ベーコン3枚とソーセージ・パテが挟んであるという、とても朝から食べるには重たすぎるものである。これで業績が回復したと言うのだから驚きだ。

 業績回復のヒントを与えたのは、ある市場調査の結果だという。それは、コアなファーストフード好きは全人口の18%にすぎないが、売上の49%を占めているという数字。なるほど、それなら納得できる。なんとも理にかなった経営方針だ。

 うちも食品を扱う店のひとつとして、ニーズにこたえていかなくてはならないが、なんともむずかしい・・・。それよりも今は「イノーマス・オムレツ・サンドイッチ」が食べてみたくてしょうがない。

投稿者 quwabara : 00:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月09日

050609

朝、家を出て歩いている途中に地震にあった。急に家屋が揺れガシャンと言った。すぐに揺れは止んだのだが、大抵、地震を感じるのは屋内にいるときだから、屋外で出会うと身体が露呈されているからだろうか、いつになく、心細さをともなった不安感を抱いた。そこで、次に思ったことは、携帯電話である。思ったことは携帯電話である、というのもおかしな表現だが、誰かに連絡をとろうと思ったわけでもないのに、ふと携帯電話のことが気になったのだ。本当に震災ともなれば、おそらくつながりにくい携帯電話で、必死に連絡をとろうとするのかもしれない。ふと、そんなことが頭をよぎったのではないだろうか。自覚はないのだけれど。今日は、そんなことで、家に忘れた携帯電話を、取りに帰るチャンスを拾ったわけである。まあ、よかった。それを忘れると、どうにも行動が狭くなり、活動がにぶることは必至だから。
昨日の試合で、日本がドイツワールドカップへの出場を決めた。世界最速というおめでたいというか、アジアのレベルの低さを物語ると言うか、記録つきである。2002年に韓国まで観戦旅行に行ったことがつい昨日のようだ。韓国を知る、よい機会になったことは間違えないが、それより、やっぱりワールドカップとは祭りだということを実感したたびだった。世界から集まる代表チームを応援するために、いろいろなひとびとがひとところに集まる。
また祭りに参加できるのだろうか。4年前と今とでは、いろいろなことがずいぶんかわってしまったから。でも、祭りにはいきたいなぁ。

投稿者 geta : 19:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月08日

花のなまえ

 相も変わらず、園芸に勤しむ男あり。
 本来、自称藝術家の証である筈の作務衣姿なのに、園芸家の姿としてご近所にすっかり定着して、近頃じゃ、通り過ぎる小学生に、あ、園芸のおじちゃんだ、わーい、わーい、と指される始末……って、まあ、そんなことはないのだけれど、ちょっとこの本を読んでみなさい、と『園芸家12カ月』を貸されてしまったりするほどではある。チャペックは好きだし、この本だって随所に面白みが溢れている素晴らしい本である。なのであるけれど、再々申すように、私は行き掛かり上、園芸に励む形になっているだけの者であり、花の名まえなんざ殆ど何も判らない。しかも、外国の花ときた日にゃまるで珍紛漢紛。花の名まえてえものはカタカナで書かれている故に、音としてイメージすることはできる。声を大にして読み上げることもできる。けれども、そうしたところで、形骸化した空気の振動が口の辺りに漠然と拡がるばかりで、如何なる意味も私には到達しない。いやいや、意味不明という意味が到達するのである、と、まあ、小理屈は兎も角も、判らないものは判らない。ああ、判らない。判らない。

 嘗て、和英辞典不要論者と小論争になったことがある。先方は、大変博学で高齢の弁護士様。あれこれの語学にも堪能であり、御齢七十を超えても猶精進怠りなき方。だらだらずるずると直観頼みで学問と接することの多い私としては、大きに見習いたいような人物である。けれども、彼の和英辞典不要論は些か強引に過ぎ、初心者を脱したら金輪際和英辞典に触れること罷りならん、という勢い。勿論、酒の上でのことなので、矢鱈に弾みがついていたということもある。私たちの、立派なような馬鹿馬鹿しいような、それでいて、妙に熱心な議論に、傍に居合わせた英国紳士は目を白黒させていた。その際に、私が和英辞典を擁護するために持ち出したのが、花の名まえであった。上級者と雖も、例えば、和英辞典無かりせば、如何にして、花の名まえを英語で伝えることができようか、と。うーん、と言ったきり、数分間黙り込んだ御大は、和英辞典の使用を部分的には認めよう、という気になったようであった。

 ソテツを和英辞典で引いてみて、なるほど、cycadですか。ふむふむ。cycadねえ。今まで見たことねえなあ、って。あるいは、その逆。peony、peony、ええとpeonyと、ほほう、シャクヤクね。ああ、シャクヤクですか。立てばシャクヤク座ればボタンって、あれだね……って、これで何か解決しただろうか。何も解決していないのである。判らないローマ字が判らないカタカナに形を変えただけ。脳裡には如何なる映像も浮かんでこない。虚しいのう。

投稿者 zenta : 14:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月07日

ディープ・スロート

「先生、ディープ・スロートってどういう意味?」

 答えられるわけがない。小5女子、背伸び盛りの攻撃である。彼女が聞いたのは、ニクソン大統領辞任云々ではなく、本来の、語源としての deep throat の意味らしい。口が裂けるぐらい言えない。
 現在、小学生英語クラスには私立の女の子ばっかり4人いる。
 「なにそれー」
 「キモーイ」
 「(お絵描き中)」
 後はまあ、こんな感じのお気楽クラスである。
 私としては、平時も有事も安易に教えようとは思うまい。
「辞書引いてみ」
「深い、と、のど、でしょ」
「あれ、知ってたの?」
「辞書引いたもん。で、どういう意味?」
「何だと思う?」
「わかんないから聞いてんでしょ」
 「げろげろ」
 「キモーイ」
 「(喉仏のとんがった生物)」
これ、乗った。
「この絵、ほら、こののどの深いとこになんかつまって飛び出ちゃってると、これ、ディープ・スロートですよ」
基本、女の子にはデスマスを心掛けている。
「うそばっかり」
 「うそつきー」
 「いやー」
 「でぃーぷすろーとってここ書いて。」
甘くはない。
「うち帰って聞いてくださいよ」
「わかんないっていうんだもん」
「ちょうどいいじゃないですか。親子で勉強ですよ」
「知らないんでしょ」
「こういう言葉は自分の力で獲得してゆくものなのだよ」
「わけわかんない。知らないくせにー」

 知ってるよ。知りたかったらゴルゴ13読めよ。

投稿者 shachi : 03:02 | コメント (3) | トラックバック

 このブログも存在するインターネットというのは諸刃の剣。件の用語をググッたら、出るわ出るわ、ご丁寧に図解入りまで種々沢山の関連ページ。伸び盛りのお子様達もインターネットのちょっとした知識があればいくらでも情報は手に出来る時代なんですねぇ。まったく良いのか悪いのか。

投稿者 Ohari : 2005年06月09日 18:03

 インターネットは善くも悪くもいろいろな情報が入手できるところなのは確かだけど、情報の質がぴんきりだってことを肝に銘じておかにゃいかんですね。ガセを信じ込んでしまったりする危険性がありますな。

 インターネットてえところは、ある意味、嘘の吐き放題な世界なのである。

投稿者 Zenta : 2005年06月09日 23:50

 そうですね、そのネタの、出所に注意しろ、って話は子供にも話したことありますねえ。

投稿者 shachi : 2005年06月10日 02:29

2005年06月06日

何だか

いまいちここの所、頭が働いていないような気がする。
学校の評価が終わったからなのか? 
漠然とした次に進んで行く期待感のような物を感じながら、ノンビリとした時間が流れている。

投稿者 kajiya : 03:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月05日

素朴な疑問

 神戸の中心地三宮で、アラブ系の住人を全く見かけないのはいったい何故だろう?

●一行派

投稿者 yanhipo : 11:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月04日

地方の住宅は1日にして成らず?

住宅を設計し建てるということはとても大変だ。細かいところまで把握して、デザインも含め全て決めなければならないと考えているから、余計に大変な目に会っているのかもしれない。工務店や施主から色々な意見や要望が出てきて、思考が縛られていく感覚に陥るときがある。そんなときは何が楽しくてこんなことをやっているのだろうと気が滅入ってしまう。
ハウスメーカーの家なんてホイホイと建ち上がって、ちょっと目を離していたら人が住んでいる。木造で早いものなら1週間で人が住めるような住宅も販売されているそうだ。そんな住宅にも陰乍ら苦労している人々がいるのであろうか。
私の地元富山ではハウスメーカーが大手を振るって住宅を次々と建てている。4ヶ月ぶりに帰省してみると、実家の廻りの田圃が何件もの住宅になっているから驚いた。これが規格化・量産化が辿り着いた勝利の姿なのであろうか。そういった状況に慣れてしまった地元の人々に対して果たして自分の設計は通用するのだろうか。地元では相当な啓蒙活動をしなければならなそうである。

投稿者 tsubaki : 20:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月03日

とある1日

 水曜日のこと。友達と高円寺駅で待ち合わせをしていると、なんだか周りが騒がしい。どうやら誰かが喧嘩をしているようだ。そこで喧嘩をしていたのは、ヤクザと車椅子の兄ちゃん。普通に考えればいじめとしか思えない組み合わせだが、喧嘩をふっかけたのは車椅子の兄ちゃんの方。しかも一方的に攻めている。しばらく眺めていたら他のヤクザが止めに入り、警察もやってきた。警察が来てもなお車椅子の兄ちゃんは興奮したまんまで、一般人がとばっちりを受ける始末。これ以上いてもしょうがないということで電車に乗り、目的地の横浜に向った。

 横浜駅、というかみなとみらい駅につくと何やら浴衣のお姉ちゃんがちらほら。なんかあんのか?と思いコンビニの店員さんに聞いてみると、この日は「開港祭」というものがあるらしい。驚きつつも、もちろん祭りに参加することにした。この「開港祭」、祭りとはいっても出店がいっぱい出たりする祭りではなくて、主に花火を打ち上げるというのが最大のイベントのものらしい。花火の時間まで、まだだいぶ時間があったので、場所とりをして、しばらく待つことにした。早くはじまんないかなぁ、なんて思いながら待っていると、地元のおばちゃんに声をかけられた。なんだか支離滅裂なことばかり言っていたので、内容はあまり覚えていないが、おんぶして向こうまで連れてって、なんて言ったり、せっかく仲良くなったんだから隣で呑もうかしら、なんて言っていた。出会って1分くらいなのに。

 まぁ、あとは素直に花火を見て、余韻に浸って、高円寺帰って呑みなおした、という感じで1日を終えた。この日の行動はほぼノープランだったのに、まったくめぐり合わせってすごいなっ、て思わされた1日だった。

投稿者 quwabara : 16:30 | コメント (2) | トラックバック

 いいですねえ、そういう一日。東急が桜木町駅を放棄して後の鉄道具合をチェックせずにはいられなくなります。
 ところでその高円寺のヤクザ、トリアノンに行ったら会えそうですねえ。駅前の喫茶店です。地元に生まれ育った皆さんはご存知でしょうが、常連なんすよね。映画そのまんまんな皆さんが、幹部は座って子分は直立。しかし初めて遭遇した集団ヤクザ以上に驚いたのが、ふつうのお客さんが、ふつうにくつろいでるってことだったっけ。

投稿者 shachi : 2005年06月05日 01:58

まさに駅前に事務所があるヤクザの方々だと思われます。直前に事務所の前に大勢たまってましたし。ヤクザの方は手を出すに出せなくてタジタジでした。なんだか本当に珍しい光景でしたね。

投稿者 quwabara : 2005年06月05日 15:48

2005年06月02日

050602

先日、厨子にある神奈川県立近代美術館の葉山館へ行った。本館は鎌倉の鶴岡八幡宮の裏にある。坂倉順三の設計によるとても良い建築である。スケールの美しい何とも言いがたい雰囲気が漂う、まことに味わいのある素晴らしい空間である。1951年開館のこの美術館は、半世紀以上を経て、面積が小さい、設備などの機能的なバックアップが十分でないと言う、現在の要求条件には十分でない場合があるという理由から、分館として葉山館がつくられたのだ。
春に、ハンス・アルプという彫刻家の展覧会が行われた時に訪れたかったのだが機会を逸したため、今回がはじめてだった。湘南ライナーという直通の電車で、渋谷から約1時間、思ったより早く着く。駅からは車で少し走らなければならないが、御用邸の隣接地、海に面する環境は抜群である。至るまで走りながら遠く、相模湾の向こうに、箱根の山々だろうか、幾重にも重なる山の端が、グラデーションも鮮やかに見える様は、一緒に乗っていた若い建築家たちが、感嘆の声を上げるほどである。普段の事務所で明け暮れる毎日に対して、非日常感を受け、流れる時間の速度の違いを感じる環境である。小高い山に向かって常に吹いているのであろう海風をうけて、とびだか鷹だかが、悠々と羽を広げている。車を降りると、あるいは館をひと回りして中庭に出ると、潮のにおいが漂ってくる。波の音とともに、なんともたゆとうような気持ちになるのだ。


神奈川県立近代美術館

投稿者 geta : 19:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月01日

さらば

 貴ノ花が亡くなった。五十五歳。
 小中学校の先輩であり、地元でちょくちょく見かけていたもの。自ずと親近感が湧き、その上、あの外観にあのプレースタイル。応援しない訳にはいかない。この近所での貴ノ花人気は大変なものであった。私、相撲が好きなんでございますよ、と威張れるような人間ではないが、貴ノ花だけは随分応援したものであります。

 そうそう、後輩力士をずらずら率いて、突然学校に現れ、放課後の体育館で、目ん玉が飛び出るような、高速ドッジボールをやっているのを見て、心底魂消たことを思い出す。バレーボールを使っていたんだが、ソフトボールをびゅんびゅん投げるぐらいのイメージでござんした。連中の分厚い胸板にばちーんと当たると、体育館中にすぱーんと快音が響き渡る。良い音だったねえ。偶にボールが破裂したりしてね。何とも不思議な見世物(失礼)を見物した。お相撲さんって、ほんとにすごいんだなあ、とつくづく。

 何はともあれ、御冥福を祈る。

 振り返ると、小畑千代や佐々木ヨーコ、ジェット・シンなどなど、とてもいかした連中がスポーツ(?)界を賑わしていた時代だったが、私にとってのヒーローと言えば、江夏と貴ノ花がワン・ツー。これに尽きた。ネッツァーを知ってから、ずんずん方向が変わっていったものの、それでも、江夏も貴ノ花も一貫して応援しておりましたとも……って、四半世紀以上も昔の話なのですなあ。いやはや。

投稿者 zenta : 13:25 | コメント (0) | トラックバック